[cardboard id=”2930″] [cardboard id=”2932″][cardboard id=”2934″]
[cardboard id=”2930″] [cardboard id=”2932″][cardboard id=”2934″]
佐世保市では、数年前から正午を知らせるサイレンに佐世保市歌のメロディが使われています。 人によっては学校で歌った経験があるということですが、自分が通っていた学校では習いませんでした。 (私が小学生だったころ、市内の小学校に配布されていた冊子「わたしたちの佐世保市」にも掲載されていたような気がしますが)
平和的で希望に満ち溢れたメロディと歌詞でとても素敵な市歌ですが、昭和27年に制定されたようで、それ以前は市歌がなかったのか気になったので調べてみました。
今回調べてみるまで自分も知らなかったのですが、昭和9年頃に制定された「旧佐世保市歌」が存在していたようです。 作詞は多くの校歌や市歌を手掛けた日本文学者の八波則吉氏、作曲は明治大正期に活躍した作曲家の島崎赤太郎氏らしいです。
私が調べた範囲では、それ以上の情報を得ることができなかったため、佐世保市役所に問い合わせてみました。すると、企画部政策経営課の方に快く対応していただき、「市役所ではメロディや楽譜は残っていないが、歌詞は確認できました」と歌詞を送っていただけました。
旧佐世保市歌の歌詞は次のとおり1です。
一、烏帽子岳は高く聳えて
九十九島の眺尽きせず
海幸山幸心のままに
我が市佐世保は天與の港二、威風堂々舳艫銜みて
海を圧する艨艟これぞ
皇國の鎭我等の誇り
軍港佐世保の輝く誉三、市民挙りて鎭守と仰ぐ
八幡宮の御稜威畏み
一意愛市の思念に燃ゆる
若き佐世保に栄光あれや
現行の市歌で歌われている「烏帽子岳」や「九十九島」といった佐世保を代表する名所が歌われていてとても親近感がありますね! 市政50周年の折に現在の市歌に変更されたようですが、終戦を迎え歌詞が歌いづらくなった背景もあるのかもしれません。
メロディや楽譜を引き続き探していこうと思います。(時間を探して市立図書館の郷土資料室に行ってみようかな) もし、情報をお持ちの方はコメントをいただけると幸いです。
作詞の八波則吉氏は昭和28年に亡くなっており著作権的にも問題がないはずですので、全文掲載いたしました。 ↩
ImageMagick の montage コマンドを使うと複数の画像をタイル状に並べて、1枚のサムネイル集合写真のような画像を作成することができます。スマートフォンの「カメラロール」のようなものです。
具体的には次のようなコマンドでサムネ画像を生成します。
montage -background black -tile 11x20 -geometry 48x48+0+0 *.jpg thumb.jpg
ここで問題となるのが -tile
オプション。これは、「複数の入力画像を縦横何個ずつ並べるか」を指定するオプションです。入力画像ファイル数が少なかったり、出力画像のアスペクト比が 1:1 であれば単純に入力画像ファイル数の冪根を求めればいいだけなのですが、16:9 などといったスマホの画面で閲覧させるのを前提としたアスペクト比の場合、何個ずつ並べればいいかの計算がちょっと厄介になります。
入力画像が正方形の場合、入力総数を [math]n[/math], 求めたい縦横何個を [math]x, y[/math], 縦横比を [math]w, h[/math], アスペクト比を升目と考えた時の総数に対する比を [math]t[/math] とおくと、[math]n = xy[/math] で [math]xy \leq wt \cdot ht[/math] を満せばいいわけなので、[math]x, y[/math] それぞれについて解くと、
[math]x = w \sqrt{\mathstrut \frac{n}{wh} }, y = h \sqrt{\mathstrut \frac{n}{wh} }[/math]
という具合になります。
これを Ruby に書き直して計算結果を印字するようにしたものが次のコードです。
#!/usr/bin/env ruby
# 総数
n = 333
# 比率
w = 16
h = 9
def calc(n, w, h)
t = Math.sqrt(n.to_f / (w * h).to_f)
return (w * t).to_i, (h * t).to_i
end
x, y = calc(n, w, h)
if x * y < n
x, y = calc(n + x, w, h)
end
puts "#{x}x#{y}"
calc
の戻り値は個数を表すため必ず整数値になるわけですが、総数よりも小さい場合は1枚の画像に収まらないため1、再計算させています。 上の例のように、333 ファイルを 16:9 の比でタイル配置したい場合
25x14
という結果が得られます。
montage コマンドはタイル総数よりも入力画像数が多い場合、複数の画像として出力してくれます。また、足りない場合は余白になります。 ↩
昭和21年に米軍によって撮影された佐世保の空撮カラー映像が Youtube に投稿されているのを見つけました。貴重なフィルムを投稿していただいて興奮しています。というのも、佐世保は戦前に鎮守府が置かれていたためか、全国でも有数の人口を誇る大都市だった1にも関わらず、当時の空撮写真や海岸線、鎮守府付近の詳細図があまり残されていません。国土地理院で閲覧できる空撮写真も戦後に米軍が撮影したものばかりです。
映像には、大牟田、佐世保、大村上空が映されていました。映像そのものは Youtube のものを見ていただくとして、佐世保上空について現在の地図と比較しながら見ていきたいと思います。
佐世保空襲の影響で空き地が目立つ港湾部です。
現在のさせぼ五番街がある場所は埋め立てされた場所です。カラオケのシダックスがある筋を五番街方面に行き、高速道路をくぐる交差点のすぐ向こう側が海でした。
画面上部、現在は松浦鉄道と高速道路がYの字になっているのが見えますが、撮影当時は画面左に向かっているものは高速道路ではなく、どちらも鉄道でした。高速道路になるこの鉄道は佐世保鎮守府、佐世保海軍工廠内にも伸びており、米軍が占領してからは「ジョスコー線」と呼ばれる線路でした。
現在も平瀬橋の脇にレールの一部を見ることができます。
画面右上から左に流れるのは名切川です。画面左の名切川沿いにある建物は佐世保玉屋。画面下には、旧国鉄佐世保線(現松浦鉄道)の鉄橋が焼け残っています。
今では想像することもできませんが、空き地になっている場所は空襲前まで木造の平屋が所狭しと並んでいました。こちらで佐世保玉屋周辺の焼ける前の写真を見ることができます。
画面右手の寺院は、現在の東本願寺佐世保別院のようです。
佐世保鎮守府を上空からカラーで映した貴重な映像です。昭和20年11月に陸海軍は解体され復員省に移行しているので、厳密に言うと鎮守府では既にないのですが、ほぼそのままの姿を見ることができます。
鎮守府内への引き込み線路の奥に見えるグラウンドは、現在、ミニッツパークの野球場・サッカーコートになっています。当時からグラウンドだったんですね。
先ほどの写真の奥。鎮守府の建物がたくさん見えています。現在は自衛隊病院や音楽隊が置かれているエリアです。画面右上には当時から「海軍橋」の愛称で知られている佐世保橋が見えます。
佐世保川にかかる海軍橋にさらに近づいたところです。凱旋記念館(佐世保市民ホール)や現在は海上自衛隊佐世保資料館になっている佐世保水交社も見えます。佐世保で一番古い町並みだった元町も壊滅的に焼失していますね…。教法寺の庭がかすかに見てとれます。
現在、SSKバイパスが走っている付近です。画面右中央に戦艦武蔵の艤装工事を行なった佐世保海軍工廠の第七船渠(現SSK第4ドック)がしっかり見てとれます。
SSKには仕事でもたまにお邪魔しますが、戦前から稼働中のクレーンや建物が現役で使用されていることも多いです。
この周辺も佐世保川を中心にして見事に焼けています。焼け野原の中、中央右に見える建物は佐世保警察署です。その上流にあるさらに大きな建物は佐世保市役所・公会堂です。
また、画面右上の山の上に見える黒っぽいL字型をした建物は成徳女子高等学校(現佐世保北高)です。
佐世保海軍工廠の蛇島(じゃじま)岸壁です。現在はSSKの岸壁です。
立神(たてがみ)岸壁です。現在は米軍と海上自衛隊が使用しています。
中央に流れる佐世保川の手前が佐世保鎮守府、奥が一般市民が暮らすエリアに分かれていました。 平瀬橋も見えます。
ここも綺麗に焼けています。現在の国道の場所は空襲前までは細い道だったようで、焼けたのを期に広い道を通して区画整備されたようです。体育文化館(コミュニティーセンター)がある場所は、陸軍佐世保要塞司令部跡ですが、なんだかよく分かりません。
現在、佐世保高専の奥の工場がある付近です。ここには第21海軍航空廠の日宇工場があったため、撮影されたと思われます。
道の形が比較的そのままになっています。画面を横断するのは現在は西九州自動車道佐世保道路。
航空母艦や二等駆逐艦のような艦艇がたくさん映っていました。
↑の写真は、米軍が佐世保空襲後の昭和20年7月2日に撮影した針尾島のエビス湾の空撮写真です2。位置関係から考えると、「KASAGI」は航空母艦「笠置」。「HAYATAKA」と書かれているのは、祖父が乗っていた航空母艦「隼鷹(じゅんよう)」のことだと思われます。隼鷹は日本人でもなかなか音読みはできない艦名ですので読み間違えてたようです。 まさか、隼鷹のカラー映像が残っていたとは…!
隼鷹に関する記事は下記が詳しいです。
参考までに、下記は米軍が昭和21年に作成した戦災地図です。
大きな解像度のものはこちら。
昭和15年時点で佐世保市の人口は全国16位。15位の札幌市と1000人ほどしか違わず、当時は横須賀市や尼崎市よりも人口が多かった。 ↩
Sasebo History – Assorted Data on a Historical City in Southern Japan ↩
崎辺地区の見学に行った帰り、近くにある佐世保東山海軍墓地に参拝することにしました。両親から聞いた話によると、旧海軍の大尉だった祖父も生前はよく参拝に来ていたとのことです。
大宮町の通りから少し登った小高い丘の上にあり、福石小学校の南側に位置しています。狭く曲りくねった車道が続いているため、佐世保市民でもこの周辺に用事がない限りあまり通りません。
入口の石碑です。祝日ともあって、私たちの他にも数組の参拝客がいました。
墓地の案内板。陸軍や外国人も等しく祀られています。
駐車場から入った参道の様子です。他のブログ記事では慰霊碑ばかりが紹介されていますが、あくまでも墓地ですのでこのような風景です。
参道の脇には砲弾の形をしたモニュメントも。
第二十七駆逐隊慰霊碑(時雨、白露、夕暮、有明)。400柱以上が祀られています。
航空母艦「瑞鳳」戦役者慰霊碑。216柱が祀られています。
軍艦「妙高」戦役者慰霊碑。90柱以上が祀られています。
軍艦「那智」戦役者慰霊碑。約1000柱が祀られています。
軍艦「足柄」戦役者鎮魂之碑。300柱以上が祀られています。
軍艦「矢矧」戦役者慰霊碑。486柱が祀られています。
軍艦「羽黒」戦役者慰霊碑。800柱以上が祀られています。
軍艦「金剛」戦役者慰霊碑。1250柱が祀られています。
航空母艦「加賀」戦役者慰霊碑。800柱以上が祀られています。
航空母艦「飛龍」戦役没者慰霊碑。800柱以上が祀られています。
佐世保鎮守府潜水艦合同慰霊碑。伊号・呂号潜水艦合わせて2591柱が祀られています。
広場にある東郷平八郎元帥の像。広場では近所に住んでいると思われる子供たちがサッカーをしていました。
オンラインゲームの影響で艦艇ばかり注目され「聖地」として崇められることが増えてきているようですが、自分たちのために戦って散った方々の墓地であり、慰霊のための施設であることを忘れてはいけないと感じました。
佐世保市民にもあまり知られていないことですが、佐世保湾に面する崎辺半島には飛行場がありました。現在は海上自衛隊佐世保教育隊、米軍用地があります。
場所は知っていたものの、佐世保に住んでいてもまず用事がない限り行かないところですので、行ってみました。
佐世保海軍航空隊の Wikipedia ページによると、
横空の成長を期に、航空隊の増設を図った海軍は、各軍港へ哨戒航空隊を設置することとした。その第一弾として、佐世保軍港に面した長崎県東彼杵郡日宇村の半島先端の浅瀬を埋立て、飛行場を設置した。この埋立地に佐世保海軍航空隊を開いたのが大正9年12月1日である。内海部にある呉鎮守府への航空隊設置は遅れ、大正14年に佐空の分遣隊を置いた。佐世保飛行場は滑走路が短く、陸上機の常駐には不都合が多かったため、陸上機はもっぱら大村海軍航空隊が常駐する大村飛行場を活用した。そのため、佐世保鎮守府には加賀・飛龍・瑞鳳・大鷹・雲龍・葛城と6隻の航空母艦が配備されたが、艦載機は佐空ではなく大村空や宇佐海軍航空隊で訓練・補給・休息を実施していた。
とのことです。
例のごとく、佐世保地方隊のページにも詳しく説明が掲載されています。
佐世保地方隊【西海の護り】:佐世保史料館(セイルタワー)【佐世保海軍航空隊~(佐世保教育隊、佐世保警備隊、佐世保弾薬整備補給所、佐世保衛生隊第2衛生科)】
さて、下の Google ストリートビューの撮影車が入っていって撮影しているとおり、一般車両でもある程度のところまでは許可を取らなくても入っていけますが、普通の用事では一般人が行くところではないので、周辺に迷惑をかけないよう行動したいところです。
現在は海上自衛隊、米海軍、佐世保重工業(SSK)用地で区切られていますが、SSK用地は日本版「海兵隊」とも言われている島嶼上陸作戦の精鋭部隊「水陸機動団」の用地になる模様です。
SSK:「水陸機動団」拠点に 保有する崎辺地区西側、防衛省と売買契約 /長崎 – 毎日新聞
佐世保教育隊の入口に続く道。たまたま、半島の先から来た「U.S. NAVY FIRE RESCURE」と書かれた米海軍の消防車が入っていきました。
一般道のすぐ近くに停泊していた多用途支援艦「あまくさ」。熊本地震の被災地にいったようで「災害支援」の横断幕が掲げられていました。
一般道の行き止まりの場所。Google ストリートビューでも見えているとおり特に何もありません。佐世保港に停泊している補給艦「おうみ」が見えました。
この後、佐世保東山海軍墓地に行きました。
6,7年ぶりに海上自衛隊佐世保資料館(通称、セイルタワー)に行ってきました。
西九州自動車道佐世保中央インター付近にあるため市外からのアクセスも簡単で多くの観光客が訪ずれている日本有数の海自の資料館ですが、自宅から5分もかからない位置にあっていつでも行けるという安心感と館内写真撮影禁止という理由から、なかなか行っていませんでした。
駐車場完備で入場料は無料。すぐ近くには佐世保バーガーで有名なハンバーガーショップもあります。 また、地図にも掲載されているとおり、この付近には旧佐世保鎮守府内にある海上自衛隊佐世保総監部、自衛隊病院、第一次世界大戦の凱旋記念館(佐世保市民ホール)、米軍住宅などがあるエリアです。
資料館の前面です。画面の上半分と下半分は建物の様式が全然違いますが、一つの建物です。下半分は、明治期に建築された「佐世保水交社」の建物の形をそのままに作り替えたものです。
↓(2016/05/14追記) 後日、全天球カメラ「RICOH THETA S」で撮影したものです。Google ストリートビューのようにマウスをドラッグすると視点を回転できます。
海上自衛隊佐世保資料館(セイルタワー) – Spherical Image – RICOH THETA
海上自衛隊佐世保地方隊「西海の護り」の解説ページによると、次のとおり。
佐世保水交社は1898(明治31)年、谷郷町より当地(上町)に移転しました。海軍士官の懇談、外国士官の接待、及び艦隊乗組士官の宿泊等のためにつくられ、大ホール、大食堂を備えた3階建ての洋館造りでした。 戦後、1945(昭和20)年米軍が接収、将校クラブ(タウンクラブ)として使用されていましたが、1982(昭和57)年、日本に返還、1994(平成6)年その一部を防衛庁(現防衛省)に所管換され、修復後、新史料館となりました。
特徴的な8角形の塔がそのまま現在にも引き継がれていることが分かると思います。実は水交社の隣にある保育園に通っていたので、改築される前の水交社も当時から知っていました。子供からは「薄気味が悪い洋館」というイメージしかありませんでしたが、趣のある建物であったことを覚えています。
正面から向かって右を見ると、すぐ近くにある佐世保凱旋記念館(市民ホール)も見えます。昨年修復工事が終わったばかりで、建築当時に美しい外観が蘇っています。
さて、前述のとおり資料館の内部は一部を除いて基本的に撮影禁止です。受付の方にあらためて伺うと、受付正面のロビーにある記念撮影エリアと7階の展望ホールから外の景色を撮影するのはOKとのことでした。
写真つきの展示内容紹介は、佐世保地方隊のページにも掲載されていますが、ぜひ足を運んで見ることをオススメします。インターネットに掲載できる情報が少ないので伝わりにくいかもしれませんが、何十分もある映像コンテンツがいくつもあったり、明治から現在に至る艦船の模型が大量にあったり、艦船の中で使われていた調度品や東郷平八郎直筆の書などなど…、一日中かけて見てまわっても良いくらいの展示物があります。 貴重な展示品はもちろんのことですが、個人的に佐世保港内でイージス艦を操船できるシミュレータが面白かったです。
記念撮影エリア。衣装を着て撮影することができます。
7階の展望ホールより佐世保港を望む。手前の海上自衛隊施設と、高速道路をはさんで向こう側には米海軍艦艇と海自艦艇が見えています。
撮影可能なエリアが限られていると、どうしても他の方のブログで掲載されているのと同じような写真ばかりになっちゃいますね(笑) 屋外には「山内短五糎(センチ)砲」の展示がありますが、撮影を忘れていました。凱旋記念館の写真に移っている画面左手の石垣の上に展示されています。
この後、旧佐世保飛行場があり現在は佐世保教育隊・米軍施設がある崎辺地区と佐世保東山海軍墓地に行ってきました。
色々と私を遊びに連れ出してくれる920さんのお兄さんで、佐世保観光コンベンション協会の吉川拓朗さんがガイドを務める、佐世保の軍港クルーズに参加しました。
佐世保の「軍港クルーズ」、今季の運航始まる : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
今シーズンは4月4日から始まったそうで、今日は初めての週末。晴天とまではいかないものの、天気にも恵まれていて絶好のクルーズ日和でした。
まず最初に向かったのは、JR佐世保駅。駅構内にある「佐世保観光情報センター」の受付にて、軍港クルーズのチケットは販売されています。改札が1つしかない小さな駅ですので、すぐに見つけることができると思います。情報センターの入口の向かって右手には佐世保駅名物(?)のボンビーの石像があります。そういえば、結構長い間居座ってますね(笑)
情報センターのカウンターで言えば乗船チケットを購入することができます。1時間のクルーズで1人2000円でした。
桟橋は情報センターがあるJR佐世保駅から目と鼻の先です。チケットにも地図が印刷されていますが、JR佐世保駅のみなと口を出て正面にある、佐世保五番街を貫けたところにあります。佐世保駅を出るとすぐに綺麗な公園とその後に広がる海を見ることができます。
歩いて数分の距離です。JR佐世保駅は特急みどり号で新鳥栖駅や博多駅まで直通で行けますので、アクセスのしやすさもすばらしいですね!
遊覧船は、まるで阪神タイガースを思わせるカラーリングです(笑)。普段、一般の船が航行できない海域にも入るそうなのでとにかく目立つ色なのかもしれません。佐世保湾の広さは、横須賀港の2倍、長崎港の10倍もの海域があり、その8割が軍用に指定されているらしいです。この鯨瀬埠頭周辺は、その中でも限られた貨客船埠頭で西海市の大島や五島行きのフェリーもここに着きます。
遊覧船は2つのデッキがあり、どうせなので見晴しが良さそうな上のデッキに上がりました。全体の定員は60名ほどらしいです。
ガイドを勤める拓朗さん。制服姿がカッコいい!
オンラインゲーム「艦隊これくしょん」のブームで、いわゆるガチな方々が多いのかなと思ったらそんな事もありませんでした。意外で少し驚いたのが、年配の方、特に一人で乗られている年配のご婦人の方などがいたこと。
上のデッキの後部左舷側の席に座っていると軍港にはおよそ似合わない品の良さそうな格好の年配のご婦人が上がってこられたので、席を譲ろうと立ったところ、「いいのよ、私は陸側を見たいから」と笑顔で返され、デッキにあった台を右舷側に置いて座られていました。自分らは初めての乗船でしたが、右舷が陸側ということをご存知のところ、何度も乗られている方のようでした。
※ 実際に佐世保港内を半時計廻りで航行したので、右舷が陸側(艦艇が停泊している方向)でした。なお、クルーズが終わった後から拓朗さんに伺った話では、航路は変更になることがあるようです。 ※ あ、別の年配の男性に席は譲りましたよ!どうせカメラを構えてずっと立ってるつもりだったので…(笑)
さあ、いよいよクルーズの開始です!
乗り場の隣に停泊していた佐世保市の防災船「つくも」。船上火災などに対応するための船らしいです。写真では分かりづらいですが、赤い放水器が船上に2つ見えます。こういう細かなところにも拓朗さんのアナウンスがあり、とても分かりやすかったです。
緑色の屋根の建物が米軍第7艦隊の司令部施設です。左手には桜、右手には米軍艦、奥には旧佐世保海軍工廠時代から使われていて現役で稼働している佐世保重工業(SSK)の250トンカンチレバークレーン…というよく考えたらスゴい組み合わせ。国連旗も掲げられているのですが、NATO軍の艦艇も入ってくるかららしいです。
米海軍ワスプ級強襲揚陸艦、ボノム・リシャール。全長257メートル、オスプレイなどの垂直離着陸機を運用しているヘリ空母らしいです。米軍艦艇は全然知らないので現物を眺めながら解説を聞くとよく分かります。この艦の乗員は、東日本大震災の時、米軍による「トモダチ作戦」で以前佐世保を母港にしていた強襲揚陸艦エセックスに乗って、多くの被災者を救援をした方々とのことです。
米海軍サン・アントニオ級ドック型輸送揚陸艦、グリーン・ベイ。ステレス型の面白い形をしてます。現在は女性が艦長をしているとのことです。
米軍の艦艇2隻が停泊しているすぐ隣には、我が海上自衛隊の立神岸壁に停泊中のイージス艦「ちょうかい」がいました。なぜすぐ近くに停泊しているかというと…
海上自衛隊立神岸壁は、上図のように米軍佐世保基地の先端に位置しています。港湾海域は広いわりに陸地が狭いため、米軍、自衛隊、SSK、一般の港湾施設が密集しまくっています。矢印の赤線が遊覧船の航路です。この航空写真でも平瀬係船池に停泊する米軍艦艇と海自艦がすぐ近くにあるのが分かります。せまいぞ!
なお、戦前までは緑線の米軍基地と青線のSSKはすべて日本海軍の施設でした。
左がちょうかい、右がグリーン・ベイ。ほんとに近いです。
はりきって一眼レフと望遠レンズを持っていきましたが、クルーズの前半はハンディカムで動画撮影をしていました。このあたりの写真はすべてハンディカム撮影です。画質がイマイチなのはご愛嬌。ただ、手ぶれ補正はなかなか優秀でした。
ちょうかいの船尾、トランサム板にあるラッパ状のものは曳航型のソナーを出す部分らしいです。
ちょうかいの隣に停泊中の海上自衛隊とわだ型補給艦「はまな」。インド洋にて多国籍軍に洋上補給した実績がある艦です。
2014年に就航したばかりのあきづき型護衛艦「すずつき」。イージス艦のサポートが任務の一つらしいです。倉島岸壁は一般公開があるため艦内にまで入ることができますが、立神岸壁は米軍基地内を通らなければならいため、一般人は近づいて見る機会がほとんどありません。
SSKの250トンカンチレバークレーン。大正2年に建てられ現在でも稼働中です。立神係船池の中央にあり、右側は米軍施設、左側はSSKになります。ちなみにこのクレーンは(どのタイミングかは分かりませんが)電飾が付けられて光っている時があります。
戦艦武蔵の艤装工事を行なった第4ドック(旧第七船渠)。ちょうど大型のバルクキャリアーがドック内に入っていました。
この後、米軍赤崎岸壁へと遊覧船は進んで行きましたが…
米軍の原子力潜水艦が停泊していたため、カメラ撮影をしないでくださいとアナウンスが流れました。慌てて録画を止めます。潜水艦の近くには、機関砲を備えた米軍の小型艇がこちらを監視してウロウロしています。乗船前には「撮影NGになることもある」という情報を知らされてはいなかったので、少し驚きました。停泊している艦艇にもよると思いますが、こういうこともあるんだなと。
なお、当たり前といえば当たり前ですが、監視している小型艇の米兵の方も遊覧船から手を振ると振り返してくれるくらいフレンドリーだったので危険なことは一切ありません。任務ご苦労様なのです。
原潜を通り越した後の米軍赤崎貯油所のタンク。原潜は燃料補給の必要がほぼない為、給油ではなく乗員の休養や食料の積み込みのために停泊していたようです。
佐世保湾内に面した針尾島・浦頭埠頭。終戦直後の復員で100万人以上の兵士、一般人がここから日本各地へ帰っていった場所です。左手の記念公園の桜が咲いているのが分かります。
崎辺地区にある海上自衛隊佐世保教育隊施設。ここで若い自衛官が訓練を行っているらしいです。崎辺も陸からはあまり見る機会がないので、軍港クルーズならではの風景です。
訓練用のカッターボートが吊ってあるのが見えました。
米軍の前畑弾薬庫。建物の周りに立っているのはすべて避雷針らしいです。建物を囲むように盛ってある土塁は万が一の爆発時に爆発エネルギーを上に向けるためのものとか。写真のような建物が海沿いにいくつもあり、4万トンもの弾薬が常備されているらしいです。噂ではここに核兵器があるとかないとか…。瓦屋根なのは、旧日本海軍時代から使ってた建物っていうことでしょうか。
前畑弾薬庫のすぐ隣にある前畑造船所。はしけ状の浮いている乾ドックです。こっち側から見るのは初めて。
さらにその隣にある、旧日本海軍の水雷庫。100メートル以上ある横長の石造りの建物です。屋根にはソーラーパネルが見えます。ここに日本海軍が誇る酸素魚雷を格納していたらしいです。
職場で定期的にやることになった Ruby 勉強会の資料作りをしていて、ブロック構文を投げてメソッド側から述語を呼ぶコールバック機能はいつから設計されているのかな、と気になって調べていました。
ドキュメントにも、以前から
(ブロック付きメソッドは)最初はループの抽象化のために用いられていたため、 特にイテレータと呼ばれることもあります。
メソッド呼び出し(super・ブロック付き・yield) (Ruby 2.3.0)
という記述があります。(現在では、File.open()
時の自動後処理や、Proc
や lambda
の述語的な記述用途でもあるので、必ずしもイテレータではないです)
いろんなページを見ていると、
という Ruby の歴史を分かりやすくまとめたページを見つけました。
今から20年以上前、1994年初夏のバージョン 0.49 が最古のスナップショットらしいです。下記からダウンロードすることができます。 (それ以上古いスナップショットは、Matzさんの転職のどたばたとHDDのクラッシュによって失われてそうです。)
ftp://ftp.ruby-lang.org/pub/ruby/1.0/
each メソッドはイテレータとして説明があるものの、サンプルで使っているところを見つけることができませんでした。 (意外なことにサンプル中の繰り返しは for ... in
構文を多用してます)
以下、spec ファイルにあったイテレータの説明です。
** イテレータ
イテレータとは制御構造(特にループ)の抽象化のために用いられるメソッドの 一種である. イテレータの呼び出しは以下の構文で行なわれる.
do 文1 using 変数 文2 end [ do ]
「文2」をブロックとして設定し, 文1のメソッドをイテレータとして評価 する. 文1のトップレベルのメソッドだけがイテレータとして呼び出され, レシーバを表す式や, 引数の式はイテレータとしては呼び出されない. 文 1に複数の式があれば各々がイテレータとして順に呼ばれる.
イテレータ内でyield valueが実行されると, その値がdo文で指定された変数 に代入されブロックが実行される. ブロックの実行が終了するとその値は yield式の値として返される. あるメソッドがイテレータとして呼び出された かどうかは関数iterator_p()で知ることができる. 中にはEnumerableモジュー ルのgrepメソッドのようにイテレータとして呼ばれた時と普通のメソッドとし て呼ばれた時とで動作が異なるメソッドもある.
for 変数 in 式 文 end [ for ]
式の各要素に対し文を実行する. これは以下のdo文と等価である. do (式).each using 変数 文 end よって式の値のオブジェクトがメソッドeachを持たない場合, forを実行 すると例外が発生する.
今の do |var| ... end
構文ではなく、do ... using var ... end
という形をしてたんですねー、面白い。 例外処理も begin ... end
ではなく protect ... end
で囲んであって色々と興味深いです。
最近の構文しか知らない方は、ぜひダウンロードして読んでみることをオススメします。
また Ruby でイテレータを、という考え方は設計段階からあったようです。
ずいぶん長い間いろいろな言語をつまみぐいして, よさそうなものを拾い集めてきました.rubyはそういう概念の集合 でもあります.例えば例外とかイテレータとか.
ちなみに C# は2005年暮れに発表された 2.0 まで、yield キーワードがなかったため、コルーチンすら 書けませんでした。こわい。
MLやCVSを詳しく追っていったわけではありませんが、ブロックを投げてなんでもやっちゃえる動きは、 その後の最適化、考え方の抽象化によって定着・進化していったのだと思いました。
ラズパイを何年も前に購入して Raspbian を入れて ssh できて、X も動いてふぅ…と、ひと落ちつきした後、全然触っていませんでした。
せっかくラズパイを持っているんだからと思い立ち、ヤフオクで売っているキットを購入。子供の頃からやってみたかった電子工作に初挑戦です。
Fritzing というソフトが GUI でブレッドボード上にいろいろ乗せてみることができるようだったので、ダウンロードして使ってみました。初心者でも分かりやすくて良いソフトですね!
Windows 版を使ってみたんですが、GLESとかQtといった香ばしそうなライブラリが同梱されていました。
それで、作ってみたのは下の図です。自分の持っている初代の Model B までパーツ一覧に入ってて嬉しい。
これは回路図とは呼ばない気がします。呼び方すら分かりません。
とりあえず、GPIO#x → 抵抗 → LED → GND
としとけば良さそうなので、単純に5組配線してみました。
ラズパイで LED 制御っていうのは、もはや散々語り尽くされた感があるので、自分の覚書としてすら書いておく意味があまりない気もするのですけれど、一応書いておきます(・ω・`)
export GPIONO=27 # 制御したいGPIOの番号
echo $GPIONO > /sys/class/gpio/export # これで制御可能状態になる
echo out > /sys/class/gpio/gpio$GPIONO/direction # たぶん電流の流れる方向だこれ
echo 1 > /sys/class/gpio/gpio$GPIONO/value # 電流ON
echo 0 > /sys/class/gpio/gpio$GPIONO/value # 電流OFF
echo $GOIONO > /sys/class/gpio/unexport # これで制御可能状態をやめる
Raspbian には、最初から入っているかどうか分かりませんが、自分が使っているバージョンでは入っていた gpio というコマンドが使えるようです。
export GPIONO=27
gpio 27 export out
gpio 27 unexport
なんとなく触っただけですが、export と unexport、direction の設定がこれで出来るようです。
配線が終わり、まずはシェルスクリプトで
while :; do echo 1 > /sys/class/gpio/gpio$GPIONO/value; sleep 1; echo 0 > /sys/class/gpio/gpio$GPIONO/value; sleep 1; done
してみると、LED 一つを1秒ごとにチカチカすることができました!
他所のラズパイを使ったLチカの記事は、大抵シェルスクリプトや Python を使ってますが、どうせなので Ruby でやります。…と言っても、↑のコマンドを呼び出すだけのものですが ;)
追記
記事を書きながらラズパイ上の mruby でLチカしてる人はいないかな、いるだろうなっと検索したところ、松本亮介さんが3年以上前にされていました。
人間とウェブの未来 – Raspberry PiのGPIOをmod_mrubyで操作してブラウザからLEDを光らせてみた
しかも自分のラズパイと同じモデルっぽいし、mruby-WiringPi を使ってちゃんと…!さ、さすが!
キットについていた説明書やネットの情報を頼りに組んだら、すごく簡単にできました。
ソフトウェアからハードウェアを見える形で制御できるって魅力的ですね!
電流やらΩやら、その辺の計算は全然分かりません。とりあえず、最終的に GND に落とし込めばいい…という程度ですが、必要に応じて触っていければいいなぁと思いました。
駆逐艦の模型の探照灯に LED を埋め込んだりできたら楽しそう。