マルコフ連鎖を使って文章の自動生成を行う

cosmo

割と古典ですが、マルコフ連鎖の考え方を用いて、自動生成するスクリプトを書いてみました。入力した文章の単語同士の結合情報を重みづけをして「それっぽい文章」を生成してくれるやつです。以前からよく人工無能などでの実装で使われていますね。

ソースとなる文章をわかち書きに分割する処理に形態素解析コマンドの Chasen を使用しています。スクリプト本体は、文字分割の N-gram ではなく、単語分割したものを入力しますので、わかち書きが出せれば MeCab でも kakashi でも似たような感じでいけると思います。


単語リストに接尾単語リストを関連づけする方が精度が上がりますが、今回はちょっとしたテストコードですので、単語をリストで持たず1単語→接尾単語リストとして実装しています。

試しに、青空文庫で公開されている宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を入力してみると、次のように出力されました。

どうも今晩は見て、暗のところに見えるきれいだからこっちへかけて、 松や本の方はきちんとそろえて行きましょうと時計屋のしげみの底を 一つのやぐらが軽くひっぱましたともう着くころにふりうごかしました。 僕はそっちをもった。 孔雀が見えるのかたちが持っても手がだんだん横の旗を避けるようにした家でした。 いかがです。 美しい頬にふりを走っていました。 大きな黒い外套を揃えていましたよ。 ああそこでいて、おっかさんは空か。 わたくしたちが顔を大切に見えるのふしが云いました。 君もらわなかった。 ここはすぐ横手をつぶってるんなようにかかえられそうなことないか。 今日かがほとんどいちめんの口笛を擦りながら、私どものです。

意味はめちゃくちゃな文章ですが、スクリプトの短さの割にちょっと前の機械翻訳程度の和文は生成されますね。 Twitter や IRC, Slack などの bot や、音声合成システムの Open JTalk と組み合わせたら面白そうです。

参考リンク

佐世保港が一望できる弓張の丘ホテルに行ってきました

友人と佐世保港が一望できる弓張の丘ホテルに行ってきました。

[cardboard id=”2910″]

良いお天気に良い眺め。

[cardboard id=”2913″]

テラスでコーヒーを飲みながら雑談するのは楽しい時間です。

括弧を省略したLispコードのプロセッサーを書いてみました。

supoo(旧実装)

これまで業務でも趣味でも Lisp をガリガリ書くということはなく、せいぜい Emacs の設定ファイルを書くことにしか使ったことがありませんでした。 構文は非常にシンプルで、「これなら字句解析も構文解析も自分で書けそうだ。C と Lisp の勉強がてらやってみよう!」と思い立って書いたのが「supoo」です。

はい、考えが甘かったです。

lex や yacc を使わずにそれなりに動く実装を目指していたのですが、いつまで経ってもパーサ周りのエラーと例外処理に悩まされ続け、コードも複雑化してしまいました。C99ベースで正規表現ライブラリも使っていません。

なぜ既存の解析器を用いなかったかというと、単に lex や yacc ファイルの読み書きがあんまり出来なかったからというのも理由の一つですです。こちらが王道というのは薄々気付いていたので、過去にも何度も挑戦しましたが、その度に挫折…。これらを使った電卓レベルの入門ページはインターネットにたくさんあるんですが、それなりにプログラミング言語の形をしたものを作りたい場合はしっかりとマニュアルを読んで、実際に使用している他言語の実装を読まないとダメのようだーと思っていました。

streem

そういうのを書いたことも忘れて半年以上経った最近、まつもとゆきひろさんが一昨年の暮れあたりから開発している新プログラミング言語「streem」のコードを Github で見て、lex.lparse.yMakefile を眺めているうちに、自分でも書きたくなっていきました。ここ数年の一般的なツールや概念を用いて、何もないところから言語を組み立てていくところを見学することはとても勉強になります。

プログラミング言語を新しく作るところを見たいだけであれば、古い ML やら CVS やら漁れば色々と見れますが、その当時の歴史的な背景まで知っていなければ「なぜそういう実装になったのか」の経緯を本質的に知ることができないような気もしていました。今、リアルタイムで見るからこそ得るものもありそうです。

streem はパイプで連結してちょっとした処理をささっとこなすことができる「より良いシェル(スクリプト)」のようなものを目指しているのかな、と感じました。 パイプで繋げる考えをそのままにシェルスクリプトのようなものを進化させようとした Windows Power Shell を思い出しましたが、方針だけは評価できるものの、実際に出来上がったものは読みにくて書きにくい ガッカリ残念感の哀愁が漂っていたような印象を受けた覚えがあります1。 WPS と比較するのもアレなんですが、”顧客が本当に必要だったもの” は streem の方ですよね!

さて、そんな streem の lex.lparse.yMakefile をひっぱってきて、いろいろといじくり回しているうちに大体の記述は分かるようになってきました。まだパースだけで、式木の構築すらやっていないのですが、入れ子になった括弧を処理して、四則演算を行い、印字する程度のことはできました。

lex と yacc (正確にいうと flex と bison)を使ってなかった旧実装でも、関数定義式(defun)や制御式(if等)まで力技で実装していたので、それに比べたらまだまだラクガキレベルです。 ただ、やっぱり先人の知恵である解析器の便利さを実感することができました。

括弧

Clojure や Scheme を含む Lisp 系の言語は、S式を表現する際に括弧 () を多用します。Lisp 界隈のページを見ると、「括弧が書きづらさや読みにくさにつながって、初心者が寄りつかない」という記事をよく目にします。式木を表現したいだけであれば、Python のようにインデントでも可能ですので、そういう動きも以前からあったようです。

上記リンクでは、Scheme の ML のやりとりが紹介されています。自分も最初は、bison で () に加えてインデントによるネストをサポートしてみようかなと一瞬だけ考えましたが、電卓レベルと言えどちゃんと動いてる構文解析にこれから手を加えるのも億劫になるくらいなので、実用的に動いている実装のパーサから手を入れるのに及び腰になるのは理解できました。

ただ、コミュニティうんぬんの話は置いておいても、何十年も使い続けられている Lisp ですので時代ごとにこういう動きがあったと思いますが、未だに括弧を多用する構文が残っているということは、何か本質的な問題点があったのかもしれません。

supoo.rb

さて、そうは言ってもやっている事自体勉強&趣味なので、車輪の再発明上等でインデントでS式を書けるようにしてみました。

次のようなアプローチです。

  1. supoo はまだ電卓レベルなので parse.y を使いません。評価には GNU Common Lisp (clisp) を使います。
  2. 仮にちゃんと動いていても、yacc 構文では書きません。オレオレなインデント記法→ Lisp 記法を実現するフィルタとして実装します。

フィルタのスクリプト(supoo.rb)は次のようになりました。

中身はただのテキスト・プロセッサーです。要はインデントレベルを検知しながら、必要に応じて () を突っ込んでいるだけ。

次のように使います。

# 実行
ruby supoo.rb < indended-lisp.supoo | clisp -q -

# 通常の Lisp 構文に変換
ruby supoo.rb < indended-lisp.supoo > general-syntax.lisp

例えば、次のようなインデント記法のスクリプトがあったとします。

前置記法は変わらないですが、インデントによるS式のネスティングをしています。 必要以上に改行とインデントを入れなくても良いように、通常の () 構文も使えるようにしています2

このスクリプトを supoo.rb に食わせると

という Common Lisp なコードが印字されます。

clisp で実行すると

$ ruby supoo.rb < indended-lisp.supoo | clisp -q -
0 1 1 2 3
(1 . A)
--- TEST ---
1 2 3 4 5

のように正しく実行することができました。


  1. 結局 bash on Windows の提供という選択肢をとる Microsoft も最近では憎めないですが。 

  2. リストを各要素1行ずつに分けて書きたくないですよね。 

鎮守府歴史探訪〜旧佐世保市歌について〜

佐世保市では、数年前から正午を知らせるサイレンに佐世保市歌のメロディが使われています。 人によっては学校で歌った経験があるということですが、自分が通っていた学校では習いませんでした。 (私が小学生だったころ、市内の小学校に配布されていた冊子「わたしたちの佐世保市」にも掲載されていたような気がしますが)

現在の佐世保市歌

平和的で希望に満ち溢れたメロディと歌詞でとても素敵な市歌ですが、昭和27年に制定されたようで、それ以前は市歌がなかったのか気になったので調べてみました。

旧佐世保市歌

今回調べてみるまで自分も知らなかったのですが、昭和9年頃に制定された「旧佐世保市歌」が存在していたようです。 作詞は多くの校歌や市歌を手掛けた日本文学者の八波則吉氏、作曲は明治大正期に活躍した作曲家の島崎赤太郎氏らしいです。

私が調べた範囲では、それ以上の情報を得ることができなかったため、佐世保市役所に問い合わせてみました。すると、企画部政策経営課の方に快く対応していただき、「市役所ではメロディや楽譜は残っていないが、歌詞は確認できました」と歌詞を送っていただけました。

旧佐世保市歌の歌詞は次のとおり1です。

一、烏帽子岳は高く聳えて
  九十九島の眺尽きせず
  海幸山幸心のままに
   我が市佐世保は天與の港

二、威風堂々舳艫銜みて
  海を圧する艨艟これぞ
  皇國の鎭我等の誇り
   軍港佐世保の輝く誉

三、市民挙りて鎭守と仰ぐ
  八幡宮の御稜威畏み
  一意愛市の思念に燃ゆる
 若き佐世保に栄光あれや

現行の市歌で歌われている「烏帽子岳」や「九十九島」といった佐世保を代表する名所が歌われていてとても親近感がありますね! 市政50周年の折に現在の市歌に変更されたようですが、終戦を迎え歌詞が歌いづらくなった背景もあるのかもしれません。

メロディや楽譜を引き続き探していこうと思います。(時間を探して市立図書館の郷土資料室に行ってみようかな) もし、情報をお持ちの方はコメントをいただけると幸いです。


  1. 作詞の八波則吉氏は昭和28年に亡くなっており著作権的にも問題がないはずですので、全文掲載いたしました。 

アスペクト比と面積から縦横の大きさを求めるRubyスクリプト

Imagemagick-logo

ImageMagick の montage コマンドを使うと複数の画像をタイル状に並べて、1枚のサムネイル集合写真のような画像を作成することができます。スマートフォンの「カメラロール」のようなものです。

tiled-thumbs

具体的には次のようなコマンドでサムネ画像を生成します。

montage -background black -tile 11x20 -geometry 48x48+0+0 *.jpg thumb.jpg

ここで問題となるのが -tile オプション。これは、「複数の入力画像を縦横何個ずつ並べるか」を指定するオプションです。入力画像ファイル数が少なかったり、出力画像のアスペクト比が 1:1 であれば単純に入力画像ファイル数の冪根を求めればいいだけなのですが、16:9 などといったスマホの画面で閲覧させるのを前提としたアスペクト比の場合、何個ずつ並べればいいかの計算がちょっと厄介になります。

入力画像が正方形の場合、入力総数を [math]n[/math], 求めたい縦横何個を [math]x, y[/math], 縦横比を [math]w, h[/math], アスペクト比を升目と考えた時の総数に対する比を [math]t[/math] とおくと、[math]n = xy[/math] で [math]xy \leq wt \cdot ht[/math] を満せばいいわけなので、[math]x, y[/math] それぞれについて解くと、

[math]x = w \sqrt{\mathstrut \frac{n}{wh} }, y = h \sqrt{\mathstrut \frac{n}{wh} }[/math]

という具合になります。

これを Ruby に書き直して計算結果を印字するようにしたものが次のコードです。

#!/usr/bin/env ruby

# 総数
n = 333

# 比率
w = 16
h = 9

def calc(n, w, h)
  t = Math.sqrt(n.to_f / (w * h).to_f)
  return (w * t).to_i, (h * t).to_i
end

x, y = calc(n, w, h)
if x * y < n
  x, y = calc(n + x, w, h)
end

puts "#{x}x#{y}"

calc の戻り値は個数を表すため必ず整数値になるわけですが、総数よりも小さい場合は1枚の画像に収まらないため1、再計算させています。 上の例のように、333 ファイルを 16:9 の比でタイル配置したい場合

25x14

という結果が得られます。


  1. montage コマンドはタイル総数よりも入力画像数が多い場合、複数の画像として出力してくれます。また、足りない場合は余白になります。 

鎮守府史跡探訪〜昭和21年の佐世保空撮カラー映像〜

昭和21年に米軍によって撮影された佐世保の空撮カラー映像が Youtube に投稿されているのを見つけました。貴重なフィルムを投稿していただいて興奮しています。というのも、佐世保は戦前に鎮守府が置かれていたためか、全国でも有数の人口を誇る大都市だった1にも関わらず、当時の空撮写真や海岸線、鎮守府付近の詳細図があまり残されていません。国土地理院で閲覧できる空撮写真も戦後に米軍が撮影したものばかりです。

映像には、大牟田、佐世保、大村上空が映されていました。映像そのものは Youtube のものを見ていただくとして、佐世保上空について現在の地図と比較しながら見ていきたいと思います。

させぼ五番街 付近

sasebo1946_01

sasebo1946_01n

佐世保空襲の影響で空き地が目立つ港湾部です。

現在のさせぼ五番街がある場所は埋め立てされた場所です。カラオケのシダックスがある筋を五番街方面に行き、高速道路をくぐる交差点のすぐ向こう側が海でした。

画面上部、現在は松浦鉄道と高速道路がYの字になっているのが見えますが、撮影当時は画面左に向かっているものは高速道路ではなく、どちらも鉄道でした。高速道路になるこの鉄道は佐世保鎮守府、佐世保海軍工廠内にも伸びており、米軍が占領してからは「ジョスコー線」と呼ばれる線路でした。

現在も平瀬橋の脇にレールの一部を見ることができます。

島瀬町 付近

sasebo1946_02

sasebo1946_02n

画面右上から左に流れるのは名切川です。画面左の名切川沿いにある建物は佐世保玉屋。画面下には、旧国鉄佐世保線(現松浦鉄道)の鉄橋が焼け残っています。

今では想像することもできませんが、空き地になっている場所は空襲前まで木造の平屋が所狭しと並んでいました。こちらで佐世保玉屋周辺の焼ける前の写真を見ることができます。

画面右手の寺院は、現在の東本願寺佐世保別院のようです。

平瀬町 付近

sasebo1946_03

sasebo1946_03n

佐世保鎮守府を上空からカラーで映した貴重な映像です。昭和20年11月に陸海軍は解体され復員省に移行しているので、厳密に言うと鎮守府では既にないのですが、ほぼそのままの姿を見ることができます。

鎮守府内への引き込み線路の奥に見えるグラウンドは、現在、ミニッツパークの野球場・サッカーコートになっています。当時からグラウンドだったんですね。

sasebo1946_04

sasebo1946_04n

先ほどの写真の奥。鎮守府の建物がたくさん見えています。現在は自衛隊病院や音楽隊が置かれているエリアです。画面右上には当時から「海軍橋」の愛称で知られている佐世保橋が見えます。

元町 付近

sasebo1946_05

sasebo1946_05n

佐世保川にかかる海軍橋にさらに近づいたところです。凱旋記念館(佐世保市民ホール)や現在は海上自衛隊佐世保資料館になっている佐世保水交社も見えます。佐世保で一番古い町並みだった元町も壊滅的に焼失していますね…。教法寺の庭がかすかに見てとれます。

佐世保重工業(SSK)ドック 付近

sasebo1946_06

sasebo1946_06n

現在、SSKバイパスが走っている付近です。画面右中央に戦艦武蔵の艤装工事を行なった佐世保海軍工廠の第七船渠(現SSK第4ドック)がしっかり見てとれます。

SSKには仕事でもたまにお邪魔しますが、戦前から稼働中のクレーンや建物が現役で使用されていることも多いです。

佐世保市役所 付近

sasebo1946_07

sasebo1946_07n

この周辺も佐世保川を中心にして見事に焼けています。焼け野原の中、中央右に見える建物は佐世保警察署です。その上流にあるさらに大きな建物は佐世保市役所・公会堂です。

また、画面右上の山の上に見える黒っぽいL字型をした建物は成徳女子高等学校(現佐世保北高)です。

蛇島岸壁

sasebo1946_08

sasebo1946_08n

佐世保海軍工廠の蛇島(じゃじま)岸壁です。現在はSSKの岸壁です。

立神岸壁

sasebo1946_09

sasebo1946_09n

立神(たてがみ)岸壁です。現在は米軍と海上自衛隊が使用しています。

平瀬橋 付近

sasebo1946_10

sasebo1946_10n

中央に流れる佐世保川の手前が佐世保鎮守府、奥が一般市民が暮らすエリアに分かれていました。 平瀬橋も見えます。

佐世保郵便局(本局) 付近

sasebo1946_11

sasebo1946_11n

ここも綺麗に焼けています。現在の国道の場所は空襲前までは細い道だったようで、焼けたのを期に広い道を通して区画整備されたようです。体育文化館(コミュニティーセンター)がある場所は、陸軍佐世保要塞司令部跡ですが、なんだかよく分かりません。

日宇川河口 付近

sasebo1946_12

sasebo1946_12n

現在、佐世保高専の奥の工場がある付近です。ここには第21海軍航空廠の日宇工場があったため、撮影されたと思われます。

佐世保高専 付近

sasebo1946_13

sasebo1946_13n

道の形が比較的そのままになっています。画面を横断するのは現在は西九州自動車道佐世保道路。

その他

sasebo1946_14

sasebo1946_15

航空母艦や二等駆逐艦のような艦艇がたくさん映っていました。

sasebo_shipping_targets_1945-07-02

↑の写真は、米軍が佐世保空襲後の昭和20年7月2日に撮影した針尾島のエビス湾の空撮写真です2。位置関係から考えると、「KASAGI」は航空母艦「笠置」。「HAYATAKA」と書かれているのは、祖父が乗っていた航空母艦「隼鷹(じゅんよう)」のことだと思われます。隼鷹は日本人でもなかなか音読みはできない艦名ですので読み間違えてたようです。 まさか、隼鷹のカラー映像が残っていたとは…!

隼鷹に関する記事は下記が詳しいです。

参考までに、下記は米軍が昭和21年に作成した戦災地図です。

大きな解像度のものはこちら


  1. 昭和15年時点で佐世保市の人口は全国16位。15位の札幌市と1000人ほどしか違わず、当時は横須賀市や尼崎市よりも人口が多かった。 

  2. Sasebo History – Assorted Data on a Historical City in Southern Japan 

鎮守府史跡探訪~佐世保東山海軍墓地〜

崎辺地区の見学に行った帰り、近くにある佐世保東山海軍墓地に参拝することにしました。両親から聞いた話によると、旧海軍の大尉だった祖父も生前はよく参拝に来ていたとのことです。

大宮町の通りから少し登った小高い丘の上にあり、福石小学校の南側に位置しています。狭く曲りくねった車道が続いているため、佐世保市民でもこの周辺に用事がない限りあまり通りません。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_01

入口の石碑です。祝日ともあって、私たちの他にも数組の参拝客がいました。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_02

墓地の案内板。陸軍や外国人も等しく祀られています。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_03

駐車場から入った参道の様子です。他のブログ記事では慰霊碑ばかりが紹介されていますが、あくまでも墓地ですのでこのような風景です。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_04

参道の脇には砲弾の形をしたモニュメントも。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_05

第二十七駆逐隊慰霊碑(時雨、白露、夕暮、有明)。400柱以上が祀られています。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_06

航空母艦「瑞鳳」戦役者慰霊碑。216柱が祀られています。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_07

軍艦「妙高」戦役者慰霊碑。90柱以上が祀られています。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_08

軍艦「那智」戦役者慰霊碑。約1000柱が祀られています。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_09

軍艦「足柄」戦役者鎮魂之碑。300柱以上が祀られています。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_10

軍艦「矢矧」戦役者慰霊碑。486柱が祀られています。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_11

軍艦「羽黒」戦役者慰霊碑。800柱以上が祀られています。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_12

軍艦「金剛」戦役者慰霊碑。1250柱が祀られています。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_13

航空母艦「加賀」戦役者慰霊碑。800柱以上が祀られています。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_14

航空母艦「飛龍」戦役没者慰霊碑。800柱以上が祀られています。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_15

佐世保鎮守府潜水艦合同慰霊碑。伊号・呂号潜水艦合わせて2591柱が祀られています。

Sasebo-Higashiyama-Kaigun-Bochi_16

広場にある東郷平八郎元帥の像。広場では近所に住んでいると思われる子供たちがサッカーをしていました。

オンラインゲームの影響で艦艇ばかり注目され「聖地」として崇められることが増えてきているようですが、自分たちのために戦って散った方々の墓地であり、慰霊のための施設であることを忘れてはいけないと感じました。

鎮守府史跡探訪~旧佐世保飛行場・崎辺地区~

佐世保市民にもあまり知られていないことですが、佐世保湾に面する崎辺半島には飛行場がありました。現在は海上自衛隊佐世保教育隊、米軍用地があります。

場所は知っていたものの、佐世保に住んでいてもまず用事がない限り行かないところですので、行ってみました。

佐世保海軍航空隊の Wikipedia ページによると、

横空の成長を期に、航空隊の増設を図った海軍は、各軍港へ哨戒航空隊を設置することとした。その第一弾として、佐世保軍港に面した長崎県東彼杵郡日宇村の半島先端の浅瀬を埋立て、飛行場を設置した。この埋立地に佐世保海軍航空隊を開いたのが大正9年12月1日である。内海部にある呉鎮守府への航空隊設置は遅れ、大正14年に佐空の分遣隊を置いた。佐世保飛行場は滑走路が短く、陸上機の常駐には不都合が多かったため、陸上機はもっぱら大村海軍航空隊が常駐する大村飛行場を活用した。そのため、佐世保鎮守府には加賀・飛龍・瑞鳳・大鷹・雲龍・葛城と6隻の航空母艦が配備されたが、艦載機は佐空ではなく大村空や宇佐海軍航空隊で訓練・補給・休息を実施していた。

とのことです。

例のごとく、佐世保地方隊のページにも詳しく説明が掲載されています。

佐世保地方隊【西海の護り】:佐世保史料館(セイルタワー)【佐世保海軍航空隊~(佐世保教育隊、佐世保警備隊、佐世保弾薬整備補給所、佐世保衛生隊第2衛生科)】

さて、下の Google ストリートビューの撮影車が入っていって撮影しているとおり、一般車両でもある程度のところまでは許可を取らなくても入っていけますが、普通の用事では一般人が行くところではないので、周辺に迷惑をかけないよう行動したいところです。

現在は海上自衛隊、米海軍、佐世保重工業(SSK)用地で区切られていますが、SSK用地は日本版「海兵隊」とも言われている島嶼上陸作戦の精鋭部隊「水陸機動団」の用地になる模様です。

SSK:「水陸機動団」拠点に 保有する崎辺地区西側、防衛省と売買契約 /長崎 – 毎日新聞

SONY DSC
]3 SONY DSC

佐世保教育隊の入口に続く道。たまたま、半島の先から来た「U.S. NAVY FIRE RESCURE」と書かれた米海軍の消防車が入っていきました。

SONY DSC
]4 SONY DSC
SONY DSC
]5 SONY DSC

一般道のすぐ近くに停泊していた多用途支援艦「あまくさ」。熊本地震の被災地にいったようで「災害支援」の横断幕が掲げられていました。

SONY DSC
]8 SONY DSC
SONY DSC
]9 SONY DSC

一般道の行き止まりの場所。Google ストリートビューでも見えているとおり特に何もありません。佐世保港に停泊している補給艦「おうみ」が見えました。

この後、佐世保東山海軍墓地に行きました。

鎮守府史跡探訪~海上自衛隊佐世保資料館・セイルタワー~

6,7年ぶりに海上自衛隊佐世保資料館(通称、セイルタワー)に行ってきました。

西九州自動車道佐世保中央インター付近にあるため市外からのアクセスも簡単で多くの観光客が訪ずれている日本有数の海自の資料館ですが、自宅から5分もかからない位置にあっていつでも行けるという安心感と館内写真撮影禁止という理由から、なかなか行っていませんでした。

駐車場完備で入場料は無料。すぐ近くには佐世保バーガーで有名なハンバーガーショップもあります。 また、地図にも掲載されているとおり、この付近には旧佐世保鎮守府内にある海上自衛隊佐世保総監部、自衛隊病院、第一次世界大戦の凱旋記念館(佐世保市民ホール)、米軍住宅などがあるエリアです。

sail-tower-01

資料館の前面です。画面の上半分と下半分は建物の様式が全然違いますが、一つの建物です。下半分は、明治期に建築された「佐世保水交社」の建物の形をそのままに作り替えたものです。

↓(2016/05/14追記) 後日、全天球カメラ「RICOH THETA S」で撮影したものです。Google ストリートビューのようにマウスをドラッグすると視点を回転できます。

海上自衛隊佐世保資料館(セイルタワー) – Spherical Image – RICOH THETA

海上自衛隊佐世保地方隊「西海の護り」の解説ページによると、次のとおり。

Suikousha

佐世保水交社は1898(明治31)年、谷郷町より当地(上町)に移転しました。海軍士官の懇談、外国士官の接待、及び艦隊乗組士官の宿泊等のためにつくられ、大ホール、大食堂を備えた3階建ての洋館造りでした。  戦後、1945(昭和20)年米軍が接収、将校クラブ(タウンクラブ)として使用されていましたが、1982(昭和57)年、日本に返還、1994(平成6)年その一部を防衛庁(現防衛省)に所管換され、修復後、新史料館となりました。

特徴的な8角形の塔がそのまま現在にも引き継がれていることが分かると思います。実は水交社の隣にある保育園に通っていたので、改築される前の水交社も当時から知っていました。子供からは「薄気味が悪い洋館」というイメージしかありませんでしたが、趣のある建物であったことを覚えています。

sail-tower-02

sail-tower-03

正面から向かって右を見ると、すぐ近くにある佐世保凱旋記念館(市民ホール)も見えます。昨年修復工事が終わったばかりで、建築当時に美しい外観が蘇っています。

さて、前述のとおり資料館の内部は一部を除いて基本的に撮影禁止です。受付の方にあらためて伺うと、受付正面のロビーにある記念撮影エリアと7階の展望ホールから外の景色を撮影するのはOKとのことでした。

写真つきの展示内容紹介は、佐世保地方隊のページにも掲載されていますが、ぜひ足を運んで見ることをオススメします。インターネットに掲載できる情報が少ないので伝わりにくいかもしれませんが、何十分もある映像コンテンツがいくつもあったり、明治から現在に至る艦船の模型が大量にあったり、艦船の中で使われていた調度品や東郷平八郎直筆の書などなど…、一日中かけて見てまわっても良いくらいの展示物があります。 貴重な展示品はもちろんのことですが、個人的に佐世保港内でイージス艦を操船できるシミュレータが面白かったです。

sail-tower-04

記念撮影エリア。衣装を着て撮影することができます。

sail-tower-05

7階の展望ホールより佐世保港を望む。手前の海上自衛隊施設と、高速道路をはさんで向こう側には米海軍艦艇と海自艦艇が見えています。

撮影可能なエリアが限られていると、どうしても他の方のブログで掲載されているのと同じような写真ばかりになっちゃいますね(笑) 屋外には「山内短五糎(センチ)砲」の展示がありますが、撮影を忘れていました。凱旋記念館の写真に移っている画面左手の石垣の上に展示されています。

この後、旧佐世保飛行場があり現在は佐世保教育隊・米軍施設がある崎辺地区と佐世保東山海軍墓地に行ってきました。