「数学ガール」書籍版を買いました

10月5日の日曜日、仕事で出社した帰りに本屋に寄って海事関連・コンピュータ関連の書籍を見てました。地方の本屋はそんなに品揃えは良くなく、今ではアマゾンなどのレビューを参考にするクセがすっかり付いちゃったので、書店に足を運ぶのも久しくなっていました。

さて、前々から「数学をちゃんとやっとかないといけなかったなぁ…」と中高生の数学の本を買って復習しようと思い、実際に何冊か本を買ってみたものの中々机に向かうことができず…。ちょうど参考書や数学の本が置いてあるコーナーが目に入ったので立ち寄ってみることにしました。

数学の本は畳一枚分くらいの棚にいろいろと難しそうなタイトルの本がありました。一番よく見えるところに見覚えがあるタイトルがあり、目にとまりました。

何冊かシリーズで出ていた本は「数学ガール」。以前、アマゾンのオススメに出てきてコミック版を買った本でした。コミック版上下巻を先に読んでしまったので、ちょっとイマイチ感があったんです。コミカライズした絵師の方には失礼なんですが、絵がしっくりこないのと、コミックならコミックとしての良さ(見せ方や演出)があるはずなんですが、あんまり面白いと思いませんでした。これはマンガで読むものじゃないなと。 その際に著者の結城浩さんのサイトにて原作であるWeb版をちょっとだけ読んでみて「こっちのほうがなんだかしっくりきていいなあ」と漠然とした感想を持ったまま、書籍化された小説版を読まないでいました。

手にとってぱらぱらと見てみると、数学の参考書なんかよりもよっぽど読みやすい口語文体が中心で、参考書が読み手に「覚えさせる」ことを主眼として書かれているのに対して、数学ガールは純粋に読み手に数学の面白さや美しさを紹介してくれ、あんまり強迫観念地味た情報の詰め込みがなさそうか気がしたので即、シリーズの一番最初の本を購入。

購入から1週間、それまで朝9時前から夜中の12時までの仕事がずっと続いていたので、ろくに読み進めてはいませんが、ちょっと読んだだけでも楽しいです。主題となっている数式遊びはもちろんですが、主人公やその他の登場人物のやりとりが計算し尽されているのかと思うほど「ちょうどいい」感じがしています。余計なストーリーを詰め込むことによってまどろっこしい舞台演出をするわけでもなく、かといって、教科書に出てくる加藤健や田中久美や、ネットワーク論議のアリスやボブのように、書き手が、「具体的なキャラクターを登場させて親近感を持たせ、それで覚えさせようとしている」といった、いかにも安直な手法であるとも思えません。 書き手の一方的な傲慢さがまったく無い構成が、非常に好感を持てました。

自分は一応ソフトウェアで飯を食っている人間なので、ソフトウェア界隈から見た視点で読み進めているところもあります。フィボナッチ数列を考える話では、数列から母関数、閉じた式を見いだし、さらに一般項を求める流れが簡潔にストーリー化されています。ソフトウェア視点で読みながふと思ったのは、次の場合分けした漸化式が登場した時点で、プログラミングの設計思考は止まってしまうんだろうなあ…と。

[math] a_k = \begin{cases} 0 \qquad (k = 0)\cr 1 \qquad (k = 1)\cr a_{k-2} + a_{k-1} \qquad (k \ge 2) \cr \end{cases} [/math]

k=0→9のフィボナッチ数列を出力するプログラム

ネットで検索すればゴロゴロ出てくるんでしょうが、とりあえず「数学ガール」の漸化式だけを頼りにコードを書いてみると…

漸化式のとおり、場合分けした上でk>=2の時に再帰的にk-2k-1を呼び出しています。簡単ですねー。

出力

出力も大丈夫なようです。

0 1 1 2 3 5 8 13 21 34 

コードとしては場合分けで十分なことが多々あります。この数列を得る関数fib()も、上の実装で十分だと思います。むしろ場合分けを使わずに、あえて難解なコーディングで実装するほうが可読性を損ねる原因につながり、それは往々にして悪とも言えます

しかし、数学はここで思考を停止させる理由はないのでどんどんと「美しい」形(≠難読化、どちらかと言えば標準化?)に成長させることができることを改めて印象づけられました。これは、実用性や可読性、安全性、安定性、速度といった日常的に大切にしなければない要素を捨て去り、ただただそのプログラミング言語の可能性や面白さを追求するために、あえて難読性を評価するIOCCCや、1バイトでも少ないコード量を追求した七行プログラミングと同じような楽しみがあります。

脳という量子コンピュータとそれを表現するあらゆるデバイス、ネットワークを備えた人類を一つのコンピューティングプラットフォームだとすると、そんな巨大なシステムが数千年の歴史の中で生み出してきた「数学」というソフトウェアには、現在存在するありとあらゆるプログラミング技術やハードウェア技術とは比べものにならないほどの高度な夢が詰まっている気さえします。これは絶対に勝てるわけがないなあ…と。

でも、コンピュータに対して絶望したわけでもありません。数学もコンピュータも切っても切れない縁があるわけで、対比できるようなものでもないし、それだけコンピュータの世界にも「数学のような可能性」がもっともっと存在する気がしてきて、嬉しくなってきました。

自分はソフトウェア屋としてはまだまだ三流だし、数学も全然できないので語る資格があるかないかで言えば後者だと思います…。ただ、そんな自分でもこういう楽しみを与えてくれる数学ガールは素晴しい本なんじゃないかと思いました。

ちなみに、数学ガールをTwitterでポロっとつぶやいて見たところ


著者の結城浩さんにリツイートいただいてました。一読者としてそれだけで嬉しい気分になります。

数学文章作法という書籍も出されており、数学ガールでも語られていた「言葉の大切さ」などをうったえる活動を精力的にされているようです。

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mruby の public/private について

最近ちょっとバタバタしていてあまりプライベートに時間を割けませんでしたが、連休に台風接近が重なった事もあり、連休初日だけ出社して残りの二日はお休みを頂きました。ということで、メモ変わりにここのところの事を書き止めておきます。

mruby の public/private について

mrubyではpublic/privateキーワードを言語仕様上で制約しているらしいです。この辺の実装を調べていた時に、Matzさんご本人から教えていただきました。

自分のつぶやきにもあるように、mruby-sirenでShapeクラスのインスタンスをスクリプトサイドから作らせたくなかったので、initializeをprivateにしようとしたんですが、なかなか見付からず…

よくよく調べてみると、既にそういう話が出てきていました。

there a way to create private methods? #1357

機能制限されている詳細な経緯は分からないけれど、コンパクトで軽量なmrubyの方針においてpublic/privateは利用者側の運用に任せても特に差し支えない機能のはずだから入っていないのかもしれません。(間違ってたらご指摘をお願いします…!)

ちなみにmruby-sirenのShapeクラスは、initializeをスクリプト側から呼んだら例外を吐くようにしています。

mirb - Embeddable Interactive Ruby Shell
> s = Shape.new
(mirb):1: private method `new' called for Shape:Class (NoMethodError)
> 

実装はそのままこんな感じです。

鎮守府史跡探訪〜佐世保橋(海軍橋)と佐世保海兵団之跡碑〜

9月12日(金)の夜から13日(土)の間にかけて、眼鏡を亡くしてしまいました。数ヶ月前、歩いている最中に胸元にかけておいた眼鏡を落とし、気付かずに踏んでしまって、作り直したばかりの眼鏡でした。佐世保に帰ってきてからは四ヶ町アーケードにある別の眼鏡屋さんに何度かお世話になっていましたが、佐世保にもようやく数千円で購入が可能な低価格帯の眼鏡を取り扱う店が出てきたので、様子見を兼ねてそちらに行くことにしました。

大阪に居た頃は難波駅のZoffにお世話になっていて、眼鏡を購入して難波で買い物をした帰りに受け取って帰る、というのが普通だったので、佐世保に帰ってきた初めの頃に佐世保で眼鏡を作ると1週間も待たされて、こういう小さな差異に驚かされたものです。ちなみに、今年になって前述の踏んだ眼鏡を作り直した時は2、3日まで短縮していましたが、30分で作れるZoffの利便性にはやはり敵いません。

させぼ五番街に出来たのは、Zoffじゃなくてジンズというお店でしたが、ウェブで確認するとZoffのように生産から販売を一手に自社で行なっているらしく、価格も低価格で即日受け渡しが可能ということで、喜んで買いに行きました。 というのも、明日月曜日に出張会議が入っているので、何としても本日中に眼鏡を作りたかったのです。先週は古い厚縁眼鏡をひっぱり出してきてかけていましたが、度が合っていないのと視界が狭いのと、やはり重いのが気になる。 古い眼鏡をかけて会議に望もうかとも思いましたが、ちょうと前述のジンズの話を耳にしていたので、購入する決心をしました。

昨日の土曜日は出張の書類作成で会社に出ており、そのまま母が運転する車に拾われ、妹と3人で弓張の丘ホテルでディナーをしてきた(佐世保の夜景とハウステンボスの花火大会が見れて良かった)ので、通勤に使っている自転車は会社に置いたまま。自宅から会社に行って自転車を取り、そこから自転車でウロウロがスタートです。

さて先週、Ingressにハマっている同僚のHさんが「佐世保公園の佐世保海兵団之跡碑」について調べていました。ウェブの誰かが撮った写真を見ると、どうも子供の頃に見覚えがある。ミニッツパーク(佐世保公園)周辺にあるということだったので大体の目星がついていたので、寄ってみることにしました。

ミニッツパークは在日アメリカ軍によって今なお占領されているエリアですが、一部は佐世保公園として市民にも開放されており、佐世保の中心地・一等地であるにも関わらず緑豊かな公園とスポーツグラウンドがある場所です。戦前は、何を隠そう佐世保鎮守府があった場所です。

さて、会社がある名切谷からミニッツパークに行くとすると佐世保川を渡らねばなりません。ミニッツパーク方面に行ける橋は、下流からジョスコー線が通っていた平瀬橋、アルバカーキ橋、佐世保橋(海軍橋)の3つです。目的地であるさせぼ五番街とは逆方向になりますが、写真撮影ついでに佐世保橋から行くことにしました。

ちなみに、佐世保橋もIngressのポータルになっているようです。

写真は佐世保橋です。橋の右手が市街地で、左手が旧佐世保鎮守府でした。川で市街地と鎮守府施設が分割されていたため、そこに架かる橋はいつしか海軍橋と呼ばれていたそうです。(ちなみに戦前から橋自体の正式名称は「佐世保橋」のようです)

橋をこえて正面に写っているビル群は、元町です。自分の本籍地で今は跡形もないですが、祖母の前の代までここで旅館をしていたそうです。

ちなみに、元町はその名前のとおり佐世保の「元」になった町のようです。佐世保鎮守府が設置される際に作成された測量地図を見てみると、佐世保は元町に数軒の民家が立ち並んでいるだけの小さな集落でした。その数軒の一つに教法寺があり、当時のまだ何もない佐世保の写真にも写っています。

写真は佐世保市のサイトにあるエンプラ事件当時の佐世保橋の写真です。奥の瓦屋根の門が教法寺。

佐世保は鎮守府が設置されて以降、主に佐賀方面から移民?が多くやってきたと言われています。もしかすると、この元町は本当の意味での佐世保人のルーツなのかもしれませんね。

スマホでの撮影なのであまり画質が良くないですが…、市街地側から旧鎮守府方向を見た佐世保橋です。中央の大きなマンションの奥に教法寺、その奥にあるグレイの独特な形の屋根をしているのが、海上自衛隊佐世保資料館(セイルタワー)です。

セイルタワーは佐世保水交社の跡地に建設されており、その水交社は、明治9年、日本海軍士官の親睦・研究団体として海軍省の外部団体として創設されました。

米軍接収後は将校クラブとして用いられ、自分が中1の頃(1997年)に現在のセイルタワーに生まれ変わりました。(画像は海上自衛隊佐世保地方隊のサイトから拝借)

現在の建物も当時の六角形の塔があり、面持ちを残しています。自宅からも自転車で5分もかからないところなので、時間を見つけて行ってみたいと思います。

さて、話が脱線しました。佐世保橋に戻りましょう。

佐世保橋から2車線道路一本分の近さにある浜田公園に、旧・佐世保橋の欄干の一部が残されています。この一部は下の碑文にもあるとおり2代目です。

佐世保橋を旧鎮守府エリアに渡ると、佐世保総合病院前に旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館があります。

私は中に入ったことがないんですが、以前入ったことがある母の話によると「内装は勿体ないくらいボロボロになっていた」とのことです。 佐世保地方隊のウェブサイトによると、これは耐震工事と復元工事らしく、2015年には戦前の華やかな姿に生まれ変わるそうです。佐世保はその土地柄ゆえ古い建造物が少ないので、こういう保存の動きは嬉しいですよね。

総合病院の横にある佐世保川沿いの道を南下していくと、アルバカーキ橋が見えてきました。

昭和41年に架けられた橋で、佐世保と姉妹都市である米国アルバカーキ市の名前をとって命名されました。この橋は、写真のずっと右に集中している米軍基地から、左の市街地に歩いて行く良い場所に架かっているため、米兵やその家族がよく歩いています。 この写真には写っていませんが、左のファミリーマートのさらに左側すじ向いに、いつもお世話になっている西海模型さんがあります。西海模型さんに行くとすごい確率で米兵しかいないのは、こういう立地のせいかもしれません。

アルバカーキ橋を前の写真でいう右手に進んでいくと、佐世保公園があり、米軍施設のゲートがあります。米軍施設と言えど、この奥は野球のグラウンドなどがあるスポーツ施設なので、休日もあって多くの子供たちが米兵に混じって出入りしていました。

写っているのはレストハウスらしく、以前中に入ったことがありますが、アメリカンサイズのコーラなどを飲めましたよ〜。

視線を右にちょっとずらすと、明らかに日常で人が使ってなさそうな道が続いています。米軍のフェンスがある左側はフェンスの向こうは往来が耐えませんが、こっちは誰もいません。苔と雑草ばかりです。

自分の記憶が正しければ、この奥に「佐世保海兵団之跡碑」があるはずですが…。

30メートルほど奥に進むと、明らかに最近のじゃなさそうな建物がありました。というか戦前の建物ようです。

もっと写真を撮らねばーと周り込もうとすると

佐世保海兵団之跡碑がありました!

あった…けど雑草となんかの資材にまみれてるーーー!

雑草などの生え具合から、どう見ても放置プレイです…。奥は自衛隊施設、左手は米軍施設、ここは一般市民に開放されている佐世保公園内のはずですから、許可なく入っても大丈夫なはずなんですが、誰も入ってなさそうな雰囲気がぷんぷんするぜぇ状態なのでやたら不安になります…。

左手を見ると、米軍フェンスのいたるところに貼ってある看板が。

米軍フェンスとの位置関係はこんな感じになります。奥の米軍施設のキレイなスポーツ場で子供たちがワイワイやっているのと対照的で、こちらは暗くて静かな空気が漂っています。

碑の正面から見たところ。碑に続く道の茂り加減を見ると、やはり少なくとも数ヶ月は人の手が入った様子はありません。

ナナメから。コンクリート製みたいですが、劣化による汚れが目立っています。手前の錨はなんなんだろうなあ、と碑文を探すと

右っぽいことが書いてあるだけで、錨については書いてありません。

碑の下を確認してみると、地元の名士であった辻一三の名前が。この人の邸宅は私の実家と目と鼻の先ということもあり子供の頃から名前を知っていました。終戦直後から高度成長期まで佐世保の議会や市長として活躍した人です。エンプラ事件の発端となった入港の受け入れや、原子力船むつの入港受け入れなど、今も評価は二分される人だとは思いますが、佐世保に強い影響を残した人には変わりないと思います。

彼の名前があるということは、市長として現職だった昭和38年から57年の間に建立されたんでしょう。

結局錨については分からず終いでした。錨についてはあんまり詳しくないですが、こういういかにも「錨!」って感じのストックアンカーは戦前のもののようなイメージがあるけどなぁ。

さて、この碑の周りには写真に写ってないところにも公園のベンチやゴミ箱が大量に置いて(投棄して?)あったりするんですが、そこに見覚えがある少年がいました。

やあ久しぶり!と言っているような気がしたので、思わず、ここにいたのか!と声をかけてしまいました。この少年とライオンは、小学生の頃に一番よく遊んだ木場田公園にありました。今ではその公園も今風のキレイな風貌に様変わりをしていますが、こんなところで再会するとは思いませんでした。台座部分がないですが、公園にあった当時は大人の身の丈ほどある重厚な台座の上にあったので、よじ登ろうとしてたのをよく覚えています。

公園の改築で撤去されたものの破壊してしまうのは偲びないと思った関係者の配慮でしょうか。劣化してボロボロになっていますが、ブルーシートがかけられていた痕跡もあります。

佐世保海兵団之跡碑が残念な状態で放置されていましたが、思わぬ再会も出来たので満足とし、最初も目的であった眼鏡を買いにさせぼ五番街に向いました。

家から自転車で数分圏内で、買い物ついでに史跡めぐりができるのはすごくラッキーです!

鎮守府史跡探訪〜佐世保 針尾島 浦頭引揚記念平和公園〜

旧帝国海軍 佐世保鎮守府 針尾送信所に行った帰りに、浦頭引揚記念平和公園に行ってきました。浦頭は、第二次世界大戦の終戦直後から数年間に渡って、アジア各地に展開していた旧日本軍や民間人の引き揚げが行なわれた場所です。

今年の2月に亡くなった私の祖父は、航空母艦「隼鷹」に乗った後、戦後は駆逐艦「楠」の副官として引き揚げ事業に従事していました。

実は引き揚げが針尾で行なわれていた事は以前から知っていたのですが、平和公園や資料館がある事は、その前を通りかかるまで知りませんでした。

※資料館の内部は、許可をいただいて撮影しています。

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海上自衛隊佐世保基地 護衛艦「しまかぜ」一般公開

海上自衛隊佐世保基地で8月30日、31日に行なわれた護衛艦の一般公開に行ってきました。今回、公開されるのは護衛艦「しまかぜ」です。 先週の半ば、同僚と一般公開の話が出てそれなら行ってみようという話になり、今回は車で行くことにしました。JR佐世保駅から目と鼻の先に、一般公開が行なわれる「倉島岸壁」はありますので、遠方からでもアクセスがしやすい立地です。 なお、一般公開の日程は海上自衛隊佐世保地方隊のホームページで公開されています。あまり大きくないですが、施設内に一般来訪者向けの駐車場があり、日時限定ですが喫茶スペースもあるので軽食ができます。

午後2時半、入口で手続きを済ませて中の駐車場に入りました。夏休み最後の週末ということもあり、人手が多いかと思ったらそれほどでもありませんでした。

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来訪者駐車場には早速痛車が。前回、佐世保基地に入ったのは「艦これ」がブームになる直前の2013年3月でしたので、この手の来訪者はいませんでした。時代の流れなのかな。 ちなみに駆逐艦「吹雪」、「雷」は佐世保に由来はないですが、航空母艦「加賀」は全通式飛行甲板への改装やカタパルト装備などを装備しています。

奥の岸壁に進むと、係留されている艦が見えます。

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左から、あぶくま型護衛艦「せんだい」、あさぎり型護衛艦「はまぎり」、はつゆき型護衛艦「まつゆき」。今回はこれらには乗れません。

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前方に係留されているこちらです。手前から、むらさめ型護衛艦「ありあけ」、はたかぜ型護衛艦「しまかぜ」、あぶくま型護衛艦「じんつう」です。

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本日、公開されているのはしまかぜですが、しまかぜに乗るために接岸しているありあけの中を通ります。

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ありあけに乗り込み。後ろ姿は同僚のHさんです。

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ありあけのデッキ。全体的にスッキリした印象です。

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しまかぜのデッキに移ったところ。右は通り過ぎただけのありあけです。前回は、自衛官の方が一人ついて色々と紹介してまわってくれたんですが、今回はありませんでした。ただ、やたらと敬礼されました(笑)

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しまかぜのブリッジ。イージス艦のようなSPYレーダーはありません。

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ありあけのアンテナ部。

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しまかぜの73式54口径5インチ単装砲。

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しまかぜの名前入り救命具。これストライプじゃないんだよ!

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ありあけのブリッジ。昭和の終わりごろ建造されたしまかぜに比べ、ステルス性が若干良い今のイージス艦っぽい形をしてます。ありあけは2002年に就役した三菱長崎造船所製です。

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5インチ単装砲、前から。

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単装砲の前にはMk13 GMLSがあります。これでスタンダード対空ミサイルを発射できます。

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じんつうの前方から。62口径76mm単装速射砲がのってます。ちなみに、じんつうは1990年就役、しまかぜは1988年です。

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しまかぜは、前からGLMS、単装砲、アスロックランチャー、ブリッジの順に配置されています。これは対潜用74式アスロック8連装発射機。

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しまかぜのブリッジ。渋くてカッコいい色です。

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じんつうの速射砲ふたたび。

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さらにしまかぜのブリッジ。ほぼ撮った順番なので、あっちに行ったりこっちに行ったりご容赦ください。

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しまかぜの左舷側のデッキ通路です。隣がじんつう。

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じんつうのブリッジとアンテナ。

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チャフの発射の際の注意事項が書いてありました。敵ミサイルが飛んできたら、このチャフ(おとり)を発射して回避行動します。

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名前入りのブイ。

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じんつうの救命具。おそろいです。

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人が少なくて撮影にはちょうど良かったです。

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ハープーンSSM4連装発射機。対艦用。

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68式324mm3連装短魚雷発射管を眺めるHさん。魚雷発射管を眺めるなんて、普通に生活していたらそうそうないですよね。

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以前、自衛官の人に教えてもらったんですが、この魚雷発射管、人力で動かして撃てるんだとか。島風型駆逐艦「島風」も、零式5連装魚雷発射管を搭載していましたが、5連装管は人力で動かすことができるギリギリとか聞いた覚えがあります。

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しまかぜ→じんつうへの架け橋。誰もいないし綱もかけてないしその気になったら渡れそうですが、大人なので渡りません。

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じんつうのアスロックランチャー。

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左がじんつう。

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CIWSの説明書きが、後部の5インチ単装砲に下げてありました。写真が横を向いてるのは愛嬌です。

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ふりかえった頭上にあるのがCIWS。

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じんつうの後部甲板にも1基あります。

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護衛艦はあんまり詳しくないですが、後部にも単装砲があるって面白いですね。左じんつう、中しまかぜ、右ありあけです。

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じんつうの船尾。しまかぜも後部甲板から1段下がったところに似たようなデッキがあります。

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しまかぜの船尾から見た、後方に係留されているせんだい、はまぎり、まつゆきです。

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またふりかえってしまかぜ。後の形が全然違いますねー。

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ありあけの後部格納庫と救命具。

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しまかぜの単装砲。その先には佐世保の街が!

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吊るされたカッター。自分らの順路の先に、旧海軍の戦闘帽をかぶった女性が一人で写真を撮りまくってました。(奥の魚雷発射管を撮ってる人)黒髪ロングに戦闘帽スタイルは、佐世保海軍工廠出身の駆逐艦「暁」を彷彿させます。何にしろ、ファンが増えるのは良い事ですねー。

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こういうゴチャゴチャした感じが好きです。

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右舷の魚雷発射管。

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右しまかぜ、左ありあけです。

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ありあけの側面。煙突部分もすっきりしてます。

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揚がってから、ありあけのブリッジ部を撮りました。

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近くに係留されていた多用途支援艦「あまくさ」。以前、対岸の鯨瀬桟橋から望遠レンズで撮影したことがあります。

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ありあけのアンカー。

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ありあけ。

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あまくさ。

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またありあけ。

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厚生センターがある丘に登ってから撮ったありあけ。この時点で3時を少しすぎていましたが、ほとんど観覧者はいなくなっていました。

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厚生センターです。土曜日だったので喫茶「フェニックス」は営業していませんでしたが、売店でいろいろとお土産を買ってみました。

ハセガワ 1/700 ウォーターラインシリーズ 軽巡洋艦 龍田

お盆の間、実家に帰省していました。実家にいる間に佐世保海軍工廠で建造された軽巡洋艦「龍田」を作りました。

龍田は大正時代に作られた艦で、艦影も三本煙突に高いマストと古き良き時代の形をしています。さて、このハセガワのモデル自体も古い気がして、ランチやモールドなど、かなり大雑把な印象を受けました。自分はほとんど素組みして色を塗るくらいしか技術がないので、完成時のクオリティが元の品質に大きく影響するので大変です><

さて、これまでの駆逐艦の空中線は、ウォーターラインシリーズの説明書に書いてあるよう伸ばしランナーを使っていました。これはこれで作る楽しみが増えるので良いんですが、太さを整えるのが難しかったり、あまり細くすると切れてしまう強度の問題がありました。また、アンテナ支柱との接合や空中線同士をテンションをかけながら結び合わせることを考えると、釣り用のテグスを使った方が簡単にできるようです。ということでテグスを使ってみました。

ダイソーで購入したディスプレイケースが大活躍しています。龍田クラスの1/700軽巡であれば、横長サイズのケースに斜めにすれば入ります。

14cm単装砲が4門と、大戦末期の軽巡に比べたらかなりすっきりした武装です。ちなみに諸説あるようですが、龍田の艦名は竜田揚げの由来になったようです。

mruby: C++のクラスをラッピングしてRubyクラスとして使えるようにしてる途中

sirenの改修を行なっています。これはもともと、Open CASCADE の C# アプリケーションサンプルに含まれていた OCCTViewer クラスを参考にして組んだものがベースで、C# アプリケーションのコードとネイティブな DLL の間を取り継いで、機能を提供する sirenenv が動いています。

sirenenv の内部をさらに細かく分けると、C++/CLI の構文で書かれたインターフェイス部分と C++ 構文のみで書かれたコア部分に分けることができます。C++ 部分も含め、結局 /clr オプションでコンパイルしているので C++/CLI として解釈されるんですが、将来の「脱 .NET」を目指して切り分けを進めています。(厳密に構文が分かれてない部分もまだあると思われます)

C++部分をさらに分けると、Open CASCADE のオブジェクトやビューを扱う描画&幾何演算部と mruby インタプリタを扱うスクリプト演算部の2種類に分かれています。

佐世保海軍工廠で建造された艦船一覧

艦船模型を作る上で購入の参考にしようと,佐世保海軍工廠で建造された艦船をまとめてみました

艦名 艦種 備考
千歳 航空母艦 空母への改装。
明石 工作艦
武蔵 戦艦 建造は三菱長崎造船所、艤装が佐世保。
赤城 航空母艦 全通式飛行甲板への近代化改装。
加賀 航空母艦 全通式飛行甲板への近代化改装。
最上 航空巡洋艦 航空巡洋艦への改装。
龍田 軽巡洋艦
球磨 軽巡洋艦
北上 軽巡洋艦
長良 軽巡洋艦
由良 軽巡洋艦
夕張 軽巡洋艦
阿賀野 軽巡洋艦
矢矧 軽巡洋艦
酒匂 軽巡洋艦
睦月 駆逐艦
三日月 駆逐艦
駆逐艦
駆逐艦
初春 駆逐艦
若葉 駆逐艦
白露 駆逐艦
夕立 駆逐艦
朝潮 駆逐艦
雪風 駆逐艦
磯風 駆逐艦
伊401 潜水空母

アオシマ 1/2000 空母エンタープライズ

以前、アオシマ1/700雪風のオマケで買ってきたアオシマの 1/2000 空母「エンタープライズ」を作ります。いつものように、西海模型さんで300円で売っていました。値段も手頃ですし、空いた時間にサクサク作れるから面白いですね。

このエンタープライズはCV-6のヨークタウン級2番艦で、太平洋戦争で日本とやりあったり、日本本土空襲を行なった方です。1968年に佐世保に入港した原子力空母エンタープライズ(CVN-65)とは別です。

さて、「俺様海軍工廠」にとっては初の正規空母の建造です。 がんばっていきましょうー!

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このシリーズは裏面が組み立て説明書になっているので、購入前に大体の難易度が分かって嬉しいです。前回作成した零戦二二式や護衛艦しらねよりも簡単そうですね!

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パーツ全部はこのような感じ。同シリーズの戦艦ミズーリ作った時にも書きましたが、こいつも船体が分かれています。さらに喫水よりも上の船体も両舷がバラバラです。少ない接点で固定するのは難易度が高いので、気合いを入れていかねば…。

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そう思って意気込んで船体を組むと、喫水より上の船体は組み立て用の補強パーツが入っており、難なく組み立てることができました。右舷・左舷にそれぞれ空いた穴に補強用に独立したパーツをはめ込んで接着できます。これなら楽チン。

さらに、ちゃっちゃか飛行甲板と上部構造物を載せたら一通り完成!

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はやっ。

削り出しと接着を含めて、10分くらいしかかかっていないと思います。さて、組み終わったら次は塗装です。写真でも見てわかるように、未塗装の状態だと安いプラスチック感がすごいです。ちょうど、タミヤの呉カラーを買ってきて使っていなかったので、色の確認ついでに吹いてみたいと思います!

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塗装後です。マスキングをする前に撮影すれば良かったんですが、写真が抜けていましたね。分かりづらいですが、色はよく使っているMr.Colorの佐世保カラーよりもかなり明るめな風合いで、護衛艦しらねの船体色に近い感じがします。これなら、出身地別に船体色を変えた駆逐艦を並べると色のメリハリが出て楽しそうです。

さて、このマスキングは何かというと、飛行甲板のラインを引く練習台です。空母といえば、フジミの1/700海鷹が飛行甲板の設置を前に作業がストップしていますが、初めての空母だったので「飛行甲板の塗装はどうしようかな〜」と考えながら止まっていたのです。

今回、良い機会なのでエンタープライズさんにはライン引きの練習台になってもらいましょう。

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あまり溶かしすぎないようにした白を筆でぶりぶり塗ります。乾燥を待ってからテープを剥がすと

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なかなか良い感じにラインが引けました! マイナーな軽空母はデカールなどもあんまりないですし、この方法で自力で線を引けばいいみたいです。

そしてどうやら、線を一本引いたところで満足しちゃった模様。手を加えたくなったら、完成後でも気軽に加えられるところも、低価格モデルの良いところです。

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戦艦ミズーリに比べ、ディティールがすっきりとしています。空母なので当たり前ですが、細部の表現が難しい 1/2000 スケールのモデルだとなおさらモノ足りない感じもしますね(笑)

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細かなところに色をつけ、船体を結合、船台に乗せれば完成です! 接着剤と塗料の乾燥時間まで含めて、1時間半で完成しました。上手い人ならもっと早いのかな。 艦載機は申し訳程度に2機付いていましたが、ずらーっと甲板に並べるか、何も載せないのが好きなので、今回は出番ナシです。

前回のしらね、零戦二二式と一緒にディスプレイするとこんな感じです。

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百均に売ってあるディスプレイケースは、1/700 ウォーターラインシリーズの駆逐艦にはピッタリで、重ねて置くこともできて重宝してます。

零戦は1/100、しらねは1/1250、エンタープライズは1/2000とスケールがバラバラですが、しらねとエンタープライズは図らずしもいい感じにまとまっています。