雑記

通っていた保育園で何かの催し物があった時、舞台に立った先生たちが手品と言って「針を刺しても割れない風船」を見せてくれた事がある。今からちょうど20年前の事である。

その仕組みは至ってシンプルなもので、針を差す部分にあらかじめセロハンテープを貼り付け、針を刺す事によって収縮する風船のゴムを支える事により、割れなくするといったものだった。

当時から好奇心旺盛で超が付く程の悪ガキだった自分は、行儀良く座って見ている他の友達を余所に、「セロテープが貼ってある!」と、逆転裁判さながら指を差し大声で叫んだのを覚えている。園児に空気を読む力があれば、テレビの世界でも活躍出来そうだが、あいにく一般人である。面白がって何人かの友達と舞台を台無しにしてしまった記憶がある。

当時の自分としては、そういう大人しか知らない裏のカラクリを知っている事が優越感というか、大人から評価される手段というか、兎に角憎たらしい小僧であった。当時の先生がたと同じ年齢になった今では、自分も同じ状況では、先生がたと同じく、あのような苦笑いをしていただろう。

そういうカラクリ好きな面は、園児から小学校低学年にかけて描いていた絵にも、いくつか見て取れるのだと思う。

ある時、絵本に描いてある子供だましのような木に影響を受け、そのまま描いている友達の木の絵が気に入らず、木をちゃんと描こうとした。子供の描く木は、大抵モジャモジャっとした丸に近い緑の塊に、木の高さからはおおよそ想像も出来ない程太い幹が差さっているものだ。

自分はそこに疑問を感じた。

園児である自分たちに提供されるモノ(絵本であったり、子供番組であったり)に登場する木は、たしかに友達が描くような木ばかりだが、大人たちが目にしているもの、もしくは実在する木はこんなものではない。

子供向けにステレオタイプ化されたものでは満足するはずもなく、自分が描いた木は「断面」であった。断面といっても、木の幹を輪切りにした年輪を描いている訳ではなく、葉っぱが付いている針葉樹の縦方向の断面だ。木の高さにその太さが矛盾しないよう、一本のすらっと伸びる幹を描き、取り付け角60度で天を仰ぐ枝を描く。枝は、上に行くにつれ小さくなり、クリスマスツリーのような縦の長い三角形の木(の断面図)が出来上がる。幹の根本は、そのまま土に突き刺さるのではなく、太々とした根が大地をしっかりと捉える。

と、このように言うと格好いいのだが、断面図であるから、それは写実的な絵でもなければ、独創的な絵でもない。

親戚や友人の親などからは、「絵が上手い、こんな絵をかける子供はあまり居ない」と絶賛されていたようだが、絵心のある母*1からは、「何の面白みもない、ただの設計図」と真髄を突かれたような記憶がある。

そしてそれはまさしくその通りで、1991年の雲仙普賢岳噴火のニュースを見て描いた絵は、細々とした家屋が火砕流に飲み込まれている鳥瞰図の観光マップのような面白みのない絵で、1992年に放送されていた宇宙戦艦ヤマトの再放送をきっかけにハマった戦艦大和の絵は、バルバスバウからエンジンルームまでしっかりと書き込んだ設計図の側面図のようだった。子供の頃だからこそ描ける、現実に囚われない独創性がほとんど感じられない。しかし、その事に気付くのはもっともっと、後の事になる。

小学2年生の頃にクラスのみんなで描いた「星空を見上げる自分たちの似顔絵」は、なかなか自信があった。というのも、その年齢の児童たちの頭にある「見上げる人の絵」は、ほとんどの場合、顎が空の方向にあり、首が頭の頂点にくっついているというなんとも子供らしい絵だったからだ。もちろん、自分はウンチク付きで、「首を傾け、視線を空にやっている」という普通の絵を描いた。クラスで自分の絵のように「矛盾しない絵」を描いたのは、同じく頭が良い事で知られていた女子一人だけだった。

その後も設計図的な絵が大好きで描き続けた。らくがき帳には、家の間取りやら、変な機械やら、そんなものばかりだった。興味の対象は、当時の小学生なら誰もが持っていたSDガンダムやドラゴンボールといった子供向けアニメ・マンガとは違うベクトルを向いていた。

実在し、実際に使われていた兵器、ゼロ戦や戦艦などに興味を示し、そのリアリティの中にあるドラマこそ本物だと思い込むようになっていた。思い込む、といったらまるでそれらにドラマがないようなニュアンスになって仕舞うが、そういう意味ではない。作り物の話の中にも、ちゃんとしたドラマはあるって事を知る前の話だったからだ。

爺ちゃんが旧帝国海軍の将校時代の話を聞かせてくれていた事もあり、小学生の頃は本当にガンダムとか興味なかった。Jリーグが出来てキャプテン翼が流行った94年、その後スラムダンクが流行った際にも、それらのアニメや漫画には興味を示さなかった。小学生の高学年になると、今度はパソコンに興味を持ち始めており、バッシュは履いていたものの、やっぱりどこか、エンタテイメントについてはアウトサイダーな感じだった。

飲み会やアメトーークなんかのバラエティを見ていても、一時期流行したアニメや漫画が俎上に上がる事も多くなっている。今でこそ、「シャア三倍」や「左手はそえるだけ」、「ギニュー特戦隊」など、そういうネタも理解出来るが、実は最近知った情報も多かったりする。

そんな経緯があり、小学生の頃にはいくつもの艦船模型を作っていた。


4日しかないお盆休み、予定は友達との飲み会などがある程度、ヘルニアで遠出も出来ないとなると、Nゲージなどに手を出してみて、部屋の掃除をしつつゆっくりした連休を過すかなーと思っていた。

電車模型は、どういう経緯か知らないがプラレールのおもちゃ箱に無惨な姿になってしまった国鉄の781系(赤と肌色のやつ)が混ざっていた。きっと父の知人が子供たちのおもちゃに、とくれたものなんだろう。また、ハッカー文化の歴史を紹介している「ハッカーズ」でも、1960年代のマサチューセッツ工科大における鉄道模型クラブの様子が生き生きと描写されており、興味の対象として以前から気に止めていた。

しかし、調べてみるとやはり高い。「車が趣味です!」なんて言っている20代後半には分からないだろうが、低月給極まりないこの経済状況下で、ある程度の収入を確保した大人が趣味で楽しむようなコンテンツである事を忘れていた。

最初に考えていたのが、トミックスのマイプランの最小限のやつ(動力パックとレールが付いて六、七千円)と、やはり馴染みのある車両を走らせたかったので、松浦鉄道の一両編成ディーゼル車に目を付けた。

甘かった。松浦鉄道は地方のローカル線であり生産数が少ない=レア物扱いされるという構図であり、ネットオークションでも滅多にお目にかかれないほどの車両だったのだ。古くからマニア市場が出来ている分野の恐しさを知る。

自分に馴染みのある車両といえば、街中をてくてく走っている松浦鉄道を除けば、以下のものになる。

  • 阪急線・・・大阪に住んでいた頃、阪急梅田駅はよく利用していた。
  • 大阪環状線・・・同じく、環状線も利用していた。
  • 御堂筋/長堀鶴見緑地線・・・同上。
  • 山手線・・・東京出張の際、よく新橋あたりを徘徊してる。
  • 寝台特急さくら佐世保編成・・・数年前に廃止になった気がする。実際利用したのは1度だけ?
  • JRハウステンボス・みどり号・・・出張の際、佐世保博多間で使う。
  • 博多から山陽新幹線・・・同じく出張で使う。

どれもしっかりと揃えようとすると、日給が綺麗になくなるほどの値段になる。

佐世保生まれの佐世保育ち、どう育っても鉄っちゃんになるはずもなく、事実鉄道に関する知識はほぼ皆無だ。今まで生きてきた人生の中での鉄道乗車時間の9割が、大阪時代の5年間で占めると思うほど、佐世保での移動手段として電車に乗る機会がない。

健全な男子たる故、鉄の塊が精巧なメカニックで動く鉄道に興味がないと言えば嘘になるが、片足を入れたところで、予算的に買えない->線路と車両だけで遊んでみて飽きてしまう、といった展開が見えてきた。

Nゲージを始めるのは、もっと裕福になってからにしようと心に決めた。


小学生の頃、ラジコンヘリが欲しくて、亡くなった婆ちゃんにねだった思い出がある。

そういうものがまだ高価だった時代、婆ちゃんは孫の為にいろいろ探しまわってくれたようで、結果、自分のもとにプレゼントされたのは、ラジコンヘリ風のおもちゃだった。

風、というのは、実際にラジコンとして飛ばせるものではなく、操作するとプロペラが回転し、機銃が光り音がなり、本体下部から突き出た支えが可動する事によって上下運動をするものだった。小学生の3,4年の頃だったか、ちゃんと空気を読んで喜んだ記憶があるが、婆ちゃんの「ゴメンネ、こういうのしか見つけられなかった」という言葉が今でもじんと来る。

今では室内用の赤外線ラジコンヘリが二、三千円で購入出来る時代になった。オートジャイロ(姿勢制御機構)も付いていて、小さいながら思った以上の安定感ある飛行が楽しめる。IRCの知人から勧められた潜水艦のラジコンを購入する際、ふと目に止まったラジコンヘリと思い出がシンクロして思わず買ってしまった。大人になりある程度の経済力を持つと、子供の頃どうしても欲しかったものを買ってしまう、という話を最近の購買傾向としてWBSか何かで見た事があるが、まさにそれだと思った。

Nゲージが候補から外れた後、数千円単位から楽しむ事が出来るラジコンヘリに興味を向け出した。幸運にも玉屋のすぐ側にある西海模型店は、ラジコンヘリが店の半分を埋めるほどの品揃えがあるし、店員さんも詳しそう。

しかしまあ、ラジコンヘリについて調べていけばいく程、エンジンで動作するラジコンヘリが欲しくなってしまい、結果的にどこで飛ばすんだ、そんな予算があるか、すぐ飽きてしまうだろ、というパラドックスを埋む羽目になってしまった。自分はヘルニアであり、連休は4日しかないんだぞ。

ラジコンヘリを始めるのは、もっと裕福になって健康になってからにしようと心に決めた。


そして、最終的に辿り着いたのがプラモデル、中でも艦船模型である。子供の頃によく作っていた事に加え、今の職場では、まさに船に関するシステムを作っている。

自分とは違う部署だが、模型屋さんに流体試験をするべく模型船を作らせて、実際に試験をやっているところでもある。自分は専らシステム担当で、船についてもそんなに詳しくないので、プラモデルの船に絡めて知識を付けれたらな、なんて事を仕事をしながら考えた事もあった。

原点回帰か、早速定時と共に会社を出て西海模型に向かった。

プラモデルなんて、それこそ中学生の頃以来だから、十年以上作ってない。

わくわくしながら、購入したのは以下のとおり。

  • タミヤ ウォーターラインシリーズ 軽巡洋艦 矢矧(昭和18年12月、佐世保海軍工廠で完成)
  • タミヤ ウォーターラインシリーズ 航空母艦 隼鷹(爺ちゃんが下士官室長を務め、ケップガンをしていた)
  • GSIクレオス Mr.カラー 8色、筆
  • タミヤセメント、ウェザリングペイントセット
  • タミヤのニッパやピンセットのセット、塗料皿

8999円だった。上の二つに比べたら、なんて経済的な趣味なんだろう。ハァハァ。

この時既に、大きなミスを犯している事に気付かず、いそいそと自宅へ帰ったのであった。

*1:母が大学生の頃に描いたという植物デッサンノートを見せてもらった事があるのだが、写実の中にも花の本質を描くような、見事なものだと思った。

※ 2020/07/02 度重なるブログ移転・ブログシステムのアップデートにより崩れた記事を校正。

投稿者:

dyama

佐世保のシステムエンジニアです。詳しいプロフィールやこのブログについてはこちらをご覧ください。

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