雪や小雨が降ったり止んだりする日が続いています。切れ目を狙ってカブで山に行きました。 初日の出を見る穴場スポットはないかな~と地図を見ていると、国見山に連なる八天岳が目に止まりました。佐世保市で一番高いのは国見山で777メートル。それに連なる八天岳は707メートルで、衛星写真で見る限りほとんど何もありません。とても気になったので行ってみることにしました。
カシオのスマートウォッチ WSF-F20 の GPS ログは次のとおり。
途中、GPS をオフになっていることに気付かず移動したところもあるので肝心な八天岳周辺が記録できていませんでした!
栗ノ木峠
国道498号線「本線」の栗ノ木峠は『酷道』としても有名らしく、国見トンネルができた後も有料道路時代の迂回路として使われていた道です。2007年に国見トンネルがあるあじさいロードが無料道路になった際、佐賀県側からの道が廃道となって、佐世保市側からしか入ることができません。
この峠には、湧水を汲める場所があって子供の頃はたまに家族で来ていました。懐しいのでそこに向おう進んでいくと道を間違えてしまい、戸ヶ倉町という場所に来てしまいました。
どこだここうぇーい!
スマホホルダーを外しているので、スマホのナビを確認するにはいちいち停車しなくてはなりません。
この写真からは分かりづらいですが、左ミラーの根本のところの塗装が搭載していたスマホホルダーとの干渉でちょっと禿げちゃってます。
小雨があがったばかり。ひんやりしっとりした空気の中に小川がありました。
ナビを見てみると盛大に道を間違っていることに気付きます。元の道を戻ろうと思って、エンジン始動のキックをしましたが全然かかりません。ここ数日の傾向として
- 自宅から出発する時 → 1,2回のキックでかかる
- 走行中 → とても安定している
- お店の駐車場や路肩で数分間の停車後 → 何十回もキックしなければかからない、エンジン音の不安定
- 一度エンジンがかかれば安定する
- 何時間かたてば、また数回のキックでかかる
という感じになっています。どうも熱が関係してるっぽい。 49cc→85ccになったため、ノーマルキックペダルでの圧縮は以前に比べて結構重い。それにペダルがヌルッと下がったり力が入らない時もあるのでクラッチが滑ってるのかなぁ。 まだ慣らし走行期間中なので様子見します。
国見山
国見トンネルの脇から旧道の登り口に入ることができ、狭くて落葉だらけのくねくね道を進みます。車同士だと対向車が来たらすれ違うのも出来ない難所だらけ。
枝分かれしている林道の標識に従って進んでみると、国見山山頂前の小さな駐車スペースに辿りつきました。そういえば国見山山頂って登った記憶がない。これ以上はカブでは進めそうもなかったし、目標は八天岳なので引き返しました。
栗ノ木峠
国見山の山頂から八天岳に行く途中、岐路を入ると栗ノ木峠に行けます。
封鎖されて廃道になった佐賀県側の国道498号線跡。車で入れるバリケードの手前側はまだ国道扱いのようです。他の方が書いている廃道になった直後のブログ記事に写真と比較していると、さらに荒れ具合が進んでいますね~。
今年で廃道になってちょうど10年。その期間でこれだけ荒れるのか、と思いました。
この場所からふりかえると、国見の湧水を汲めるところがあります。
お婆ちゃんがタクシーで水を汲みに来ていました。僕が到着した時点では別の自家用車も来ていたし、今でも結構人は来ているみたい。
汲み場のところ。以前はここに全体を覆うような屋根がありましたが、いつの間にか撤去されているようです。朽ちたのかな。
ヒャッハー!水汲むよー!
手持ちの水を入れられるものが缶コーヒーのボトルしかなかったので、コレに入れて持ち帰ることにしました。右にある容器は、汲み場にあったもの。 写真には撮れなかったけれど、湧水からは少し湯気が出ていました。周りの空気に冷されない地中から出てきている証拠かな?
道もさることながら周辺も草や苔に埋もれていっている感じが素敵でした。
八天岳
栗ノ木峠から佐世保側に少し下ったところにある小さな溜池を左折して南下していくと未舗装道路が続きます。
さらに進むと八天岳とオサイ峠へと別れる山道があります。
左が八天岳山頂、右がオサイ峠。オサイ峠に続く林道はチェーンで封鎖されていました。これは予想通り。
というもの、里美町の郷美谷池からオサイ峠に向かう道も同じように封鎖されていたからです。今年になっても登山系ブログの方の記事が出てくるので、徒歩では入っても良いのかもしれません。
オサイ峠はオサイ観音がある地域で、こちらの記事によると次のような話が残っているらしいです。
唐船城譜代の臣で相神浦親に恩顧があった山本右京は、相神浦親に反旗を翻そうとする五郎盛の謀略を許すに忍びず、元亀2年(1571年)12月29日日深夜に5歳の勝之助と妊娠中の妻お才を連れ、相神浦の飯盛城へと向かった。 ところが、一月で雪の積もった峠越えは妻と子には厳しく、転んだ拍子にお才は産気づいてしまった。運良く出合った木こりの家にお才と子を預け、自らは飯盛城へ走った。この報告を聞いた城方は柚木の相当ヶ原で五郎盛の軍勢を迎え撃ち勝利した。 謀反を知らせたあと、右京は木こりの家へ引き返したが、十分な処置ができなかったのだろう、お才は産後の出血が止まらず帰らぬ人となっていた。右京はその側で泣いている赤子を抱き、妻の亡骸に手を合わせた。 その後、毎年の除夜、付近の街道で悲しい女の泣き声が聞こえたり、火の玉が見えるなど不思議なことが起きるので、村人はきっとお才の魂が残っでいるのであろうと、飯盛城と唐船城が見えるお才の峠(佐賀との県境にある)にお堂を建ててその霊をなぐさめた。これがお才観音の由来とされ、安産の守りとして今も近隣からのお参りが後を絶たない。
郷美谷池側から入ることができなかったので、以前から行ってみたいところでした。そろそろ陽も傾いてきていたので徒歩は断念。左の八天岳山頂に通じる道に進みます。
15時44分。八天岳山頂に着きました。
山頂にある違法電波の監視所。無人らしい施設ですが、アンテナが風を切る音か、買ったばかりで慣れていないシステムヘルメットのせいか、ずっと人の声のようなものが聞こえていました。何を言っているかは分かりませんでしたが音楽ではない。結構な大きさだったので、最初は一瞬「キャッチした電波をスピーカーか何かで流しているのかな~」と思いましたが、まぁ…そんな事はないですよね。
寒いし、周囲は全然人気がないし、山の木々は風でざわざわ…。
ここは逸話が残るオサイ峠から1.7kmほど離れてはいるものの、ここも心霊スポットらしいですね。こわい…!
監視所の隣には旧日本軍の防空砲台が、特に何の紹介もなく山に埋もれて行っています。初日の出が見れるスポットかな~と思ったらそんなこともなく、あたりは鬱蒼と茂った山林でした。
ふと、辺りを見回してみると
続く道にオサイ峠の文字が。お、こっちから行けるのか~。
ふらっと道に入ってみると普通の四輪車は通れなさそうな登山道でした。んん…、バイクらしき轍がいくつもあったのでオフ車で走ってる人がいるなぁ。
足元も湿っていて石や岩や枝や枯葉がスゴいし、ここは諦めて引き返しました。
世知原・山暖簾
八天岳の様子が分かったので国見山から世知原へ方面に抜け、温泉旅館の山暖簾(旧国見山荘)に行きました。栗ノ木峠付近の案内表示では、平成16年に出来た山暖簾の前身である「国見山荘」の文字がありました。
未舗装道路を走ったので結構泥だらけ。
良い具合に冷えた体をレストランの世知原茶が温めてくれました。
天気はあいかわらず曇り。雨が降り出さなかっただけましかな。
夕方の4時半と中途半端な時間でしたが、この日は何も食べていなかったのでカツ丼を頂きました。その後、温泉に入って帰りました。
国見の湧水で淹れた珈琲が美味しかったです。