鎮守府史跡探訪〜堺木峠減圧井〜

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先日、豚トロを食べようと雪平鍋に油をひいて加熱している途中、誤って鍋をひっくり返してしまいました。 結果、足に全治2週間の火傷を負いました。情けない・・・。

火傷した日からちょうど2週間が過ぎた日、通院のため自転車に乗っていると堺木付近に「堺木峠減圧井(げんあつせい)」というものを見つけました。

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減圧井とは送水管の破裂を防ぐため、水圧の調整を行う施設らしいです。鎮守府があった市街地から大野方面に行く際、堺木付近はもっとも高さがある場所に当たります。山間部から集めた水をここで一旦減圧してから、下方にある鎮守府まで送水していたみたいですね。以前から目にしていたものの、明治時代の旧跡であることは知りませんでした。

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説明の板には、堺木峠減圧井の歴史が書いてあります。

旧海軍佐世保鎮守府は海軍専用水道の水源拡充のため、当時の北松浦郡皆瀬村(現在の十文野町)にあった湧水の溜池を改良することを計画し、岡本貯水池を明治32年3月に起工、同33年5月に竣工しました。時を前後して、同貯水池の原水を浄化するための施設(旧矢岳浄水場)を明治31年10月に着工し両方を8インチ(20cm強)鉄管で結びました。 しかし、両方の高低差が146メートルにもあり水圧が高くなりすぎることから、調整を行う減圧井を「堺木」と「野中」に設けました。 この建物は、赤煉瓦造りで屋根は日本瓦葺、和洋折衷の当時としては大変モダンな水道施設で、旧矢岳浄水場が竣工した明治34年頃完成したものと思われます。 現在は使用されていませんが、当時を偲ぶ貴重な施設です。 平成5年7月 佐世保市水道局

なお、堺木峠減圧井は通りに面しているため、Google ストリートビューでも見ることができます。

佐世保のシステムエンジニアです。詳しいプロフィールやこのブログについてはこちらをご覧ください。

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