色々とお世話になっている920さんの運転する車で、長崎県西海市にある陸軍・佐世保要塞の石原岳堡塁に行ってきました。
920さんのお兄さんの吉川拓朗さんは、去年話題となった「佐世保軍港クルーズ」で船上ガイドを勤めている方で、佐世保の歴史・特に明治期以降について大変お詳しい方です。今の季節は寒いので軍港クルーズの定期運航はないようですが、この日もチャーター便での出航があったようです。そんなお兄さんのご提案で、夕方から「石原岳堡塁」に連れていってもらえることになりました。
石原岳堡塁は森林公園として整備されていて、地図を見てもわかるとおり、ちょうど佐世保港の入口付近にあります。敵艦の侵入に備えて陸軍が明治期・日露戦争の頃に設営した堡塁らしいです。
佐世保から西海橋を経由して北西に進むとあります。佐世保に住んでいてもこちら方面には用事がないため、ほとんど来たことがありません。さいかい交通のバスすら久々見た感…。
公園に到着すると、周りを緑に囲まれた自動車が数台止められそうな駐車エリアがあり、その奥に上の写真のような史跡が見えていました。想像以上にちゃんとしている!
駐車エリアに設置されていた立て看板です。
この堡塁は、記録によると、佐世保軍港防衛のために1897年(明治30年)10月21日に起工し、1899年(明治32年)12月31日に竣工したもので、全面積は約2haあります。 標高73〜77mに備えられた砲種は、クルップル式10センチカノン砲6門、鋼製9センチ臼砲4門、砲座数は7基となっておりました。 この後、1929年(昭和4年)6月14日には、陸軍の台帳から全部が除籍されました。(佐世保要塞築城史より)
日清戦争が明治27〜28年、日露戦争が明治37〜38年なので、ちょうど艦隊戦でドンパチやっていた頃に設営されたようです。お兄さんのお話によると「太平洋戦争の始まった頃は日本の海軍力が増強・制海権もしっかりして、このような本土防衛のための対艦射撃施設は不要になっていたのでは」とのご説明がありました。
なるほど、太平洋戦争時期に佐世保湾に敵艦が入ってくるような状況ではもはや日本が負けているような状況でしょうし、昭和初期の陸軍は既に大陸への進出を伺っている頃合いでもあります。昭和4年に除籍されたことに納得がいきました。
堡塁は一段低く掘ったコンクリートと石積みの堅牢な壕の中にたくさん並んでいました。木々が生い茂る小高い山の中にこんなに立派な建造物があるのは、まるで異世界に来たみたいな感覚。思わず「おおっ」と声をあげてしまいました。
並んだ堡塁の向かって左手には、地下へとゆるやかに下るトンネルが…。
中に入ってみると、外よりは少し暖い感じがしました。なんだかミステリーハンターになった気分です(笑)。 30メートルほど奥に進むと、突き当たりが二手に分かれており、それぞれ小部屋がありました。
50mm の単焦点レンズしか持っておらず、小さな空間を全体で撮ることができなかったので分かりづらいと思いますが、壕の中に侵入してきた敵を射撃するトーチカのようでした。
分厚い石造りの壁に空けられた小窓からは外が伺えます。
辺りも薄暗くなっておりブレてしまっていますが、トンネルを出て外堀の中を進むと、トーチカを外側から見ることができました。
駐車エリアにあった案内板です。中央にある堡塁跡から左上に描いてある説明書きがないイラストの部分にあるトーチカまで地下トンネルで行き来できるようでした。
この案内板にはテントのイラストや、トイレ・炊事棟が描かれているので、この堡塁にも泊まることができるのかな、と思いました。
九州でも大雪となる前日の寒い日だったので、自分たち以外の利用者はなく、とても静かでした。
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