鎮守府史跡探訪〜昭和21年の佐世保空撮カラー映像〜

投稿者: | 2016年5月21日

昭和21年に米軍によって撮影された佐世保の空撮カラー映像が Youtube に投稿されているのを見つけました。貴重なフィルムを投稿していただいて興奮しています。というのも、佐世保は戦前に鎮守府が置かれていたためか、全国でも有数の人口を誇る大都市だった1にも関わらず、当時の空撮写真や海岸線、鎮守府付近の詳細図があまり残されていません。国土地理院で閲覧できる空撮写真も戦後に米軍が撮影したものばかりです。

映像には、大牟田、佐世保、大村上空が映されていました。映像そのものは Youtube のものを見ていただくとして、佐世保上空について現在の地図と比較しながら見ていきたいと思います。

させぼ五番街 付近

sasebo1946_01

sasebo1946_01n

佐世保空襲の影響で空き地が目立つ港湾部です。

現在のさせぼ五番街がある場所は埋め立てされた場所です。カラオケのシダックスがある筋を五番街方面に行き、高速道路をくぐる交差点のすぐ向こう側が海でした。

画面上部、現在は松浦鉄道と高速道路がYの字になっているのが見えますが、撮影当時は画面左に向かっているものは高速道路ではなく、どちらも鉄道でした。高速道路になるこの鉄道は佐世保鎮守府、佐世保海軍工廠内にも伸びており、米軍が占領してからは「ジョスコー線」と呼ばれる線路でした。

現在も平瀬橋の脇にレールの一部を見ることができます。

島瀬町 付近

sasebo1946_02

sasebo1946_02n

画面右上から左に流れるのは名切川です。画面左の名切川沿いにある建物は佐世保玉屋。画面下には、旧国鉄佐世保線(現松浦鉄道)の鉄橋が焼け残っています。

今では想像することもできませんが、空き地になっている場所は空襲前まで木造の平屋が所狭しと並んでいました。こちらで佐世保玉屋周辺の焼ける前の写真を見ることができます。

画面右手の寺院は、現在の東本願寺佐世保別院のようです。

平瀬町 付近

sasebo1946_03

sasebo1946_03n

佐世保鎮守府を上空からカラーで映した貴重な映像です。昭和20年11月に陸海軍は解体され復員省に移行しているので、厳密に言うと鎮守府では既にないのですが、ほぼそのままの姿を見ることができます。

鎮守府内への引き込み線路の奥に見えるグラウンドは、現在、ミニッツパークの野球場・サッカーコートになっています。当時からグラウンドだったんですね。

sasebo1946_04

sasebo1946_04n

先ほどの写真の奥。鎮守府の建物がたくさん見えています。現在は自衛隊病院や音楽隊が置かれているエリアです。画面右上には当時から「海軍橋」の愛称で知られている佐世保橋が見えます。

元町 付近

sasebo1946_05

sasebo1946_05n

佐世保川にかかる海軍橋にさらに近づいたところです。凱旋記念館(佐世保市民ホール)や現在は海上自衛隊佐世保資料館になっている佐世保水交社も見えます。佐世保で一番古い町並みだった元町も壊滅的に焼失していますね…。教法寺の庭がかすかに見てとれます。

佐世保重工業(SSK)ドック 付近

sasebo1946_06

sasebo1946_06n

現在、SSKバイパスが走っている付近です。画面右中央に戦艦武蔵の艤装工事を行なった佐世保海軍工廠の第七船渠(現SSK第4ドック)がしっかり見てとれます。

SSKには仕事でもたまにお邪魔しますが、戦前から稼働中のクレーンや建物が現役で使用されていることも多いです。

佐世保市役所 付近

sasebo1946_07

sasebo1946_07n

この周辺も佐世保川を中心にして見事に焼けています。焼け野原の中、中央右に見える建物は佐世保警察署です。その上流にあるさらに大きな建物は佐世保市役所・公会堂です。

また、画面右上の山の上に見える黒っぽいL字型をした建物は成徳女子高等学校(現佐世保北高)です。

蛇島岸壁

sasebo1946_08

sasebo1946_08n

佐世保海軍工廠の蛇島(じゃじま)岸壁です。現在はSSKの岸壁です。

立神岸壁

sasebo1946_09

sasebo1946_09n

立神(たてがみ)岸壁です。現在は米軍と海上自衛隊が使用しています。

平瀬橋 付近

sasebo1946_10

sasebo1946_10n

中央に流れる佐世保川の手前が佐世保鎮守府、奥が一般市民が暮らすエリアに分かれていました。 平瀬橋も見えます。

佐世保郵便局(本局) 付近

sasebo1946_11

sasebo1946_11n

ここも綺麗に焼けています。現在の国道の場所は空襲前までは細い道だったようで、焼けたのを期に広い道を通して区画整備されたようです。体育文化館(コミュニティーセンター)がある場所は、陸軍佐世保要塞司令部跡ですが、なんだかよく分かりません。

日宇川河口 付近

sasebo1946_12

sasebo1946_12n

現在、佐世保高専の奥の工場がある付近です。ここには第21海軍航空廠の日宇工場があったため、撮影されたと思われます。

佐世保高専 付近

sasebo1946_13

sasebo1946_13n

道の形が比較的そのままになっています。画面を横断するのは現在は西九州自動車道佐世保道路。

その他

sasebo1946_14

sasebo1946_15

航空母艦や二等駆逐艦のような艦艇がたくさん映っていました。

sasebo_shipping_targets_1945-07-02

↑の写真は、米軍が佐世保空襲後の昭和20年7月2日に撮影した針尾島のエビス湾の空撮写真です2。位置関係から考えると、「KASAGI」は航空母艦「笠置」。「HAYATAKA」と書かれているのは、祖父が乗っていた航空母艦「隼鷹(じゅんよう)」のことだと思われます。隼鷹は日本人でもなかなか音読みはできない艦名ですので読み間違えてたようです。 まさか、隼鷹のカラー映像が残っていたとは…!

隼鷹に関する記事は下記が詳しいです。

参考までに、下記は米軍が昭和21年に作成した戦災地図です。

大きな解像度のものはこちら


  1. 昭和15年時点で佐世保市の人口は全国16位。15位の札幌市と1000人ほどしか違わず、当時は横須賀市や尼崎市よりも人口が多かった。 

  2. Sasebo History – Assorted Data on a Historical City in Southern Japan 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。