祖父の写真

投稿者: | 2015年2月14日

今月いよいよ30歳になることもあり、身の周りを綺麗にしておこうと、年が明けてから週末はもっぱら家の掃除をしています。引っ越してからずっと開けていなかった段ボールを開いてみると懐しいものがたくさん出てきました。 (断捨離的側面から考えると、そういう段ボールは開封せずにそのまま捨てた方がいいのかもしれませんが…)

特に中学から高校にかけて、自分のパソコンのバックアップやデータ移動のために焼いた CD-R やフロッピーディスクには、その当時やっていたこと・興味を持っていたことがたくさん詰まっています。

その中に、ちょうど1年前の今日他界した祖父の写真データが3枚だけありました。 大正9年生まれの祖父は、特攻で有名な鹿児島県の知覧飛行場の目と鼻の先にある川辺中学校を卒業後、江田島の海軍兵学校に第70期生として入学しました。

写真は岩国海軍航空隊で航空術教練中の祖父(主翼上中央)です。江田島からだと岩国よりも呉海軍航空隊の方が近いですが、予科練生やその他実習生の教練はもっぱら岩国の方だったようです。飛行機はあんまり詳しくないのですが、写っている機体はどうも九九式艦上爆撃機のようです。生前の祖父から聞いた話では「赤トンボ(九三式中間練習機)に乗って飛んだ」という話ですので、写真撮影用に主力の艦爆と一緒に撮影したのかもしれません。

次の写真は、航空母艦「隼鷹」の第一士官次室記念撮影です。前列左から5番目が祖父で、部下の皆さんと昭和20年の正月に撮ったようです。隼鷹の飛行甲板上で撮影したと思われる写真です。祖父は海軍兵学校卒業後、潜水母艦「長鯨」で洋上任務についた後、「隼鷹」の後部機銃座の指揮(ケップガン)をやっていました。

昭和19年の暮れ、戦艦「武蔵」の生存者200名を乗せた隼鷹は、戦艦「榛名」、駆逐艦「」とともに台湾から日本へ帰投する途中、12月9日の夜に米潜水艦の攻撃を受けて船体と機関部を損傷しています。祖父から「浸水によるすさまじい傾斜だったが、なんとか佐世保まで持ち堪えた」と聞いています。時系列に関しては、Wikipedia に詳しい記事が載っています。

なお、後列左から2番目に上を見上げている人がいますが、祖父曰く「正月で酒を飲んだ後の撮影だったから、酔っぱらってふざけているんだろう」とのことでした。

最後の写真は、駆逐艦「」の准士官以上記念撮影です。これは終戦直後の昭和20年〜21年ごろ撮られた写真で、祖父は前列左から2番目です。復員輸送に従事していた際に「楠」の副長をしていました。その向かって右隣が艦長、さらにその右の顎髭を蓄えた方は軍医だと聞いています。なお、最終的な階級は大尉だったようです。

祖父の写真」への3件のフィードバック

  1. 老猿

    dyamaさん、はじめまして。
    私のブログを見ていただきありがとうございます。
    これからもよろしくお願いいたします。

    この隼鷹の写真は、艦橋にある階段部の判る良い写真ですね。
    早速保存させていただきました。

    返信
  2. dyama 投稿作成者

    老猿さん

    コメントありがとうございます。
    老猿さんのブログは他に類を見ないほど詳細な考察をされていて、楽しく読ませていただいてます。

    さて、隼鷹の写真は自分が高校生の頃(10年ちょっと前)に祖父から借りてスキャンしたものですが、去年遺品整理をした際には見つかりませんでした。低解像度のものしかないのは残念ですが、老猿さんのような方の視点で価値を見出していただいて嬉しいです。

    これからもよろしくお願いします。

    返信
  3. ピンバック: 鎮守府史跡探訪〜昭和21年の佐世保空撮カラー映像〜 – dyama's page

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